フォークソングカフェ

フォークソングや歌謡曲の名曲やアーティストを語るブログ

男性グループ

ザ・フォーク・クルセダーズ、メンバーは今現在何してる?「悲しくてやりきれない」の誕生秘話は?

2017/09/19


スポンサーリンク

出典:〔amazon〕ザ・フォーク・クルセダーズ ゴールデン☆ベスト

帰って来たヨッパライやイムジン河などのヒット曲でも知られたザ・フォーククルセダーズ。

現在はメンバーがバラバラとなって、活動を続けている状態となっています。今回は今どうなっているのか?楽曲の秘話などに触れていきます。

プロフィール

バンド名 フォーククルセダーズ

活動期間 第一期 1965年~1968年

第二期 2002年、2013年

メンバー

きたやまおさむ、加藤和彦、平沼義男、井村幹生、芦田雅喜、はしだのりひこ、坂崎幸之助

カテゴリー バンド

今現在何してる?「悲しくてやりきれない」の誕生秘話は?

フォークルセダーズのメンバーの今ですが、色々と調べて見ると紆余曲折ある人生を過ごしています。まずは、バンドの中で中心的な存在であった加藤和彦氏、元々は京都でアマチュアバンドとして活躍していたフォーククルセダーズが解散する記念にアルバムをリリースしました。

そのアルバムの中に入っていた『帰って来たヨッパライ』が、ラジオをきっかけにヒットしました。その後バンドは、勢いに乗り『イムジン河』等のヒット曲を世の中に送り出して行きました。

ソロになってからは、作曲家として活躍しました。提供したアーティストは80年代アイドルが多く、少年隊や西村知美、Wink等時代を捉えた楽曲が多かったことでも知られています。

プライベートは、福井ミカ、安井かずみ、中丸三千絵と三回結婚し、最後は音楽活動の行き詰まりと借金でうつ病を発症し、長野県内のホテルで自殺を図っていました。また三度目の奥さん中丸三千絵さんとも離婚をしていたため最後は孤独だったのかもしれません。

ここまでは加藤和彦さんを掘り下げてきました。次にきたやまおさむさんを掘り下げて行きます。本名を北山修と書き、フォーククルセダーズ在籍時はギターを担当し解散後、大学進学し現在は精神科医として活躍しています。


スポンサーリンク

作詞家としては、堺正章さんが歌った『さらば恋人』、ベッツィー&クリスの『白い色は恋人の色』、ジローズが歌った『戦争を知らない子供たち』等の三曲が代表曲であります。

現在は芸能活動をしていない状況でしたが、作家永六輔さんと交友があり、永六輔さんが担当していた『土曜ワイドその新世界』等にはゲストとして出演していたので、正式に芸能活動を辞めたわけではないようです。

平沼義男、井村幹生、芦田雅喜については現在芸能界にいるのかどうなのかも不明でした。調べて見ても出てこないところを見ると芸能界とは距離を置いているのかもしれません。

はしだのりひこは、フォーククルセダーズ解散後グループを次々と結成しては解散を繰り返したあと、ソロ活動をしていました。現在は歌手活動が出来ていないようです。病気をされたようですから療養しているのかもしれません。

最後に、坂崎幸之助これは、2013年に加藤和彦氏が声をかける形でフォーククルセダーズに加入、テレビなどにも出演し、メンバーとして活動をしていました。現在はアルフィーのメンバーとして活動しています。

アルフィーの活動がメインでフォーククルセダーズへの加入は、あくまでもアーティスト同士のコラボレーション的な要素が強いものです。

さて、フォーククルダーズのヒット曲『悲しくてやりきれない』の誕生秘話について書いて行きます。作詞を担当したのはサトウハチロー、加藤和彦さんがサトウハチローの自宅を訪れてこの曲の前作に当たる『イムジン河』が発売中止になったエピソードを話したようです。

その話を聞いてサトウハチローさんが描いてくれた歌詞が『悲しくてやりきれない』の楽曲の歌詞となりました。

そしてそれがヒットソングとなりました。今でも色んなアーティストにカバーされています。今後も沢山のアーティストに歌われることでしょう。

まとめ

頭の良い人たちの集まりだったことが解りますし、昔のアーティストはしっかりと芯を持って楽曲制作に挑んでいたそんなイメージを持ちました。

〔amazon〕ザ・フォーク・クルセダーズのCDはこちら。

 

関連記事)加藤和彦と北山修の現在。名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」の誕生秘話は?

スポンサーリンク

関連記事


-男性グループ