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松原みきの死因と歌手として評価。「真夜中のドア」「ニートな午後3時」の誕生秘話は?


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出典:〔amazon〕プラチナムベスト 松原みき(UHQCD)

没後13年が経過した歌手の松原みきさんを色々な角度から改めて掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 松原みき
  • 生年月日 1959年11月28日
  • 出身地 大阪府 堺市
  • カテゴリー シンガーソングライター

死因と歌手として評価。「真夜中のドア」「ニートな午後3時」の誕生秘話は?

松原みきさんの死因が子宮ガン。闘病生活は3年にも及んでしまいその間は当然のことながら音楽活動は休止となり、戦っていました。しかし、残念ながら病魔には勝てずに他界しました。その間気功を利用し、霊能者の力も借りたようです。

既にガンのレベルが4という末期なレベルまで行ってましたが、良性の腫瘍に変化した時もあり、直る可能性も少しはあったのかもしれません。続いては歌手としての評価について書いていきます。

1970年代から歌手活動をスタートし、その頃から松原みきさんのリスナーだった人達は、ニューミュージックでもなくアイドル歌手でもない独自路線を進んだ歌手であると評価する人もいるほどです。

個人的に松原みきさんの歌声を聞いてみた評価ですが、声は程よく強く透明感も持っている感じを受けましたし、サウンド的には現在で言うとAORの歌手と言っても過言では無いと思います。

続いては松原みきさんの楽曲、「真夜中のドア」「ニートな午後3時」について書いていきます。作詞は三浦徳子、作曲は林哲司、バックミュージシャンもベースに作曲家としても有名な後藤次利、ギターは松原正樹、ドラムは林立夫という一流のスタジオミュージシャンが付いて松原みきさんのデビューを盛り立てた感じがあります。作詞の三浦徳子さんにしても1977年から作詞家としてデビューし、アイドル歌手、ロックバンド、演歌、アニソンまでオールマイティーにこなせる作詞家でもあります。


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また、作曲家の林哲司さんも様々なジャンルの作曲を熟してきたベテラン作曲家でもあり、当時のベストなスタッフが集まって完成した物だと考える事が出来ます。またこの曲のタイトルは当初『STAY WITH ME』になる予定でしたが、同時期に堺正章さんが同タイトルの楽曲をリリースする予定があり、どちらの楽曲か混同してしまう事を避けてタイトル変更を選択したようです。

オリコン最高位は3位、売上げ枚数が10.4万枚という新人にとっては大成功のデビュー作と言えます。現在はCDの売上げ枚数が下がり、ベテランでも10万超えるのは難しくなりましたがこの当時、新人歌手は10万枚売れていれば上出来と言われたぐらいレコードも実際に手に取られ、聞かれていた良い時代だったと思います。

続いては「ニートな午後3時」についてです。この曲は1981年にリリースされた5枚目のシングルであり、作詞は三浦徳子、作曲は小田裕一郎、この曲のタイトルニートは現在使われている訓練も受けていない働いていない人達を指す意味ではなく欧米ではきっちりとしたと言う意味合いを持っており現在の認識とは異なります。

この曲は、デビュー曲と違いフィルにブラス系の楽器が入った華やかなサウンドに仕上がっており、歌詞の内容は階段を上るだけで彼だと解った位わかり合えていた2人が、彼氏の浮気を発端にこの恋に別れを告げて、次へと歩み出そうとする前向きな歌に仕上がっています。

この曲は化粧品のCMソングに起用されたこともあり、ヒットした要因かも知れません。当時は季節毎に新製品をリリースする化粧品と楽曲を組み合わせるパターンが主流でそのパターンにハマっている楽曲といます。

まとめ

才能がある人ほど早く他界してしまうのは何故か?と考えてしまうほどです。やはり良い作品を生み出すために、命を削り人よりも早く寿命を使い切ってしまうのでしょうか。

また、ガンという病気は医学が発達しても未だ出来た場所によっては手術が出来ないという事もあり得ます。早くどんな病気も治癒できる手技や薬品を開発してほしいものです。

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