及川恒平の現在の活動。コンサートは? 「面影橋から」の誕生秘話は?
2017/07/28
出典:〔amazon〕名前のない君の部屋
今回はフォークシンガーの及川恒平さんの現在の活動やコンサートの状況などを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 及川恒平
- 生年月日 1948年8月14日
- 血液型 ?
- 出身地 北海道 釧路市
- カテゴリー フォークシンガー
現在の活動。コンサートは? 「面影橋から」の誕生秘話は?
現在歌手活動を再開していて、毎月コンサートに出演などしています。新作は2012年に光を世界へ 〜Yes All Yes〜 に参加したのを最後にリリースは行われていません。また、フォークソングブームの時にリリースしたレコードを再発売しています。
コンサートについては(URL: http://kohe1.sakura.ne.jp/yotei/より引用)
- 2017/08/20 ... 飯田フォークフェスタ/飯田
- 2017/08/12 ... 小室等と及川恒平/大森
- 2017/07/29 ... イルカ with Friends Vol.13/河口湖
やはりフォークソングの同じ時代を生きた人たちと再びステージ上で相まみえると言う感じが良いですよね。続いては「面影橋」について書いていきます。及川恒平さんが参加していた劇団『演劇団』の芝居『大塩平八郎の乱』の劇中歌として作られた物です。
また、常田冨士男さん主宰の「演劇企画集団66」に覆面歌手として参加しこの劇団に曲を提供していた小室等さんと知り合うきっかけも得ました。その後六文銭のメンバーとしての活動を本格化させます。
六文銭に参加し「出発の歌」で世界歌謡祭のグランプリを受賞、大ヒットし売れる喜びも味わうことができました。セールスはミリオンセラーを記録しましたが、印税はさほど入らず生活は楽にならなかったようです。
1971年六文銭解散後は、シンガーソングライター自分の言葉で歌うニューミュージックブームが到来、しかし及川恒平さんはこのブームに便乗することを避けたため、ミュージシャンとしての活動は少なくなっていきました。
そんな中で作詞家阿久悠さんの事務所に入り、作詞・作曲家になりました。沢田研二や和田アキ子などの有名歌手の楽曲も書くような生活が5年ほど続きましたが、ヒット曲を量産する生活に疲弊し、5年で事務所を辞めてしまいました。
その後は歌手活動を辞めてしまい、なんとテニススクールで10年間コーチを務めていたようです。この頃はテニススクールの教え子とカラオケに行く程度で、歌のうまさを褒められたりして微笑んでいたようです。
またこの時期、今まで運動しなかった部分を取り戻すように、テニスの大会、マラソン大会に出場するなど、ストイックな日々を過ごしていた時期もあったようです。しかし、1993年頃から歌手活動を再開、最初は7.8人の観客それもテニススクールの教え子という状態から始め、ソロライブが開けるまでになったようです。
やはり色々な経験を積まないと、歌にも深みが出ないと思うので必要な経験だったのかもしれませんね。2000年代前半は六文銭に参加する等、ミュージシャンとして忙しい日々を過ごしていました。
まとめ
年齢も60代後半になり、自分のペースで音楽活動ができているようですが、そこに戻ってくるまでには想像以上の紆余曲折があったと思います。また、及川恒平さんが流行歌を作る事を良しとする人ならもっと音楽でお金を稼いでリッチな生活ができたのかもしれません。
しかし、それを選ばなかったので一般の生活をする事になってしまいました。しかし音楽以外にテニスの才能があったと言うことが、また新たな人生の面白みを生み出しているそんな感じがしますよね。
そして再び音楽に戻ってくることが出来て、歌を紡ぎ出すそんな音楽の神様に導かれるような感じに見えました。今後は人生観を投影した作風に入っていくのか?それとも昔を懐かしむノスタルジックな作品へと入っていくのかは解りませんが、いずれにしてもその時にしか見えない景色という物は確かに存在しますから、その部分を余すことなく表現してほしいものですね。どの様な活動をしていくのかが楽しみでもあります。