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越路吹雪の歌手としての評価と死因。子供は?名曲「愛の讃歌」「バラ色の人生」「サントワマミー」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]愛の生涯

様々な逸話を残しており未だに伝説として語り継がれている越路吹雪さんを色々な角度から掘り下げていきます。

プロフィール

  • 芸名 越路吹雪 (本名 内藤美穂子)
  • 生年月日 1924年2月18日
  • 出身地 新潟県
  • カテゴリー 歌手
  • 活動期間 1924年~1980年

歌手としての評価と死因。子供は?名曲「愛の讃歌」「バラ色の人生」「サントワマミー」の誕生秘話は?

歌手としての評価については、宝塚音楽学校出身で宝塚でも活躍しましたが宝塚音楽学校での成績は悪く先生にも心配される生徒でしたが、東京に出てミュージカルスターになりシャンソンを歌いこなす日本を代表とする歌手となりました。

紅白歌合戦にも15回出場、また劇団四季の創設者浅利慶太氏は真実を歌うことが出来る歌手であること、心の中の愛や悲しみ、祈りを歌うことが出来る歌手と評されていました。

死因は胃から腹膜へと転移した末期がんだったと後日発表されており、本人への告知はされていないとのことです。精神的に弱い部分もあり告知しないほうがいいのではないかと考えて告知を思いとどまりました。

しかし、本人は気づいていたかもしれないなどと夫とマネージャーである作詞家の岩谷時子さんは二人で思い悩んでいたといいます。2016年のデータでは告知率は94パーセントに達しています。

確かに過去に比べると医療の進歩は目覚ましく、初期のがんであればオペで取り除くことは可能になってきており、発見が早ければそんなに恐れる病気でもないようです。しかし、患者の性格などをよく見てから告知しないと良い結果を招かないことも考えられます。

子供は作らなかったようです。ちなみに夫は内藤法美さん作曲家で越路吹雪さんが亡くなるまでリサイタルの企画構成を担当していました。恐らく歌手としてプロフェショナルに徹していたため子供にまで手が回らない可能性があります。


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ここからは越路吹雪さんの楽曲、「愛の讃歌」「バラ色の人生」「サントワマミー」について書いていきます。

「愛の讃歌」作詞、エディット・ピアフ 作曲、マルグリット・モノー

この歌はエディット・ピアフが知り合ったボクサーの、マルセルセルダンと恋仲になっていたのですが、相手には妻がいたためこの恋に終止符を打とうとした歌です。この歌にはもう一つ説があり、マルセルが飛行機事故で亡くなりそれを悼んだ歌という説もありましたが
実際は恋に終止符を打とうとした歌といえます。

日本では越路吹雪、美輪明宏、宇多田ヒカル他多数がカバーしています。それぞれのアーティストの感じ方が違うでしょうから同じ曲でどんなアレンジになるのかを楽しみに聞いてもらうと面白いと思います。

「バラ色の人生」作詞 ピアフ、作曲、ルイギ

和訳を読むと女性が意中の男性を見て勝手に盛り上がっている歌というイメージですが、ピアフの歌声で聞くとファンには何か響くものがあったのでしょう。またこの曲も多くの日本人アーティストにカバーされており歌い継がれています。

今後もいろいろなアーティストが歌い継いでいくと思います。ちなみに越路吹雪さんが歌ってどの程度売れたのかなどは判りません。

「サントワマミー」作詞、岩谷時子、作曲、サルヴァトール・アダモ

原曲は少年時代の失恋を描いた歌になっていますが、岩谷時子さんの訳詞では女性に置き換えて女性の恋の歌になっています。越路吹雪盤は25万枚の売り上げを誇っています。この曲もまた日本人アーティストにたくさんカバーされています。

今後もこの曲は歌い継がれていくことになるでしょうし、後世にまで名曲として語り継がれていくでしょう。また日本ではこの歌を聞くたびに越路吹雪さんの名前を思い出すことになると思います。

因みに原曲はサルヴァトール・アダモでエディット・ピアフではありません。

まとめ

今回は越路吹雪さんをほりさげてきましたが、フランスのシャンソンが得意ジャンルでありたくさんの逸話を残していることが判りました。今後もこのような歌手は出てくることはなさそうです。

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