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朱里エイコの病気と死因。家族は?歌手としての評価と「北国行きで」の誕生秘話は?


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出典:朱里エイコ スーパーベスト・コレクション WQCQ-240

歌手としてカーネギーホールにも立ったことがある朱里エイコさんをいろいろな角度から掘り下げます。

プロフィール

  • 芸名 朱里エイコ (本名   田辺栄子)
  • 生年月日 1948年3月19日-2004年7月31日
  • 出身地 東京都 足立区
  • カテゴリー 歌手
  • 活動開始 1962年

病気と死因。家族は?歌手としての評価と「北国行きで」の誕生秘話は?

病気に関する詳細情報はありませんが、晩年病気の治癒に使用した薬のせいでかなり太ってしまったようです。また、死因は虚血性心不全のため自宅で亡くなりました。56歳でした。

2004年まで生きていましたが、晩年は『あの人は今』のような番組に出演する程度の芸能活動をしていましたが、ライブなどの活動はしていないようです。家族については、父親が元歌手の音山神一(本名田辺信一)、朱里エイコさんが5歳の時に亡くなったことにしていましたが、実際には生きており本名で転々とした生活をしていたと思われます。

また伊田良平という名義で、紹介されている記事もあり晩年はどのような歌手活動をしているかどうかは不明です。続いては、歌手としての評価ですが、歌手としてはあまりいい活動状況であったとはいえません。

1964年に田辺エイ子の名前でデビューしましたが全く売れませんでした。そのため売れずに朱里エイコに芸名を改名して再スタートを切り、8枚ほどのシングルを出しましたが、9枚目にリリースした北国行きでが大ヒットしました。

やっとつかんだスターダムでしたが、コンサート中に福島県郡山で失踪事件を起こしてしまい、世間から要注意人物とされてその後ヒット曲が出ることもなくなり人気が急落しました。

歌への情熱は捨てきれずソウルフルでパワフルな歌を歌っていたようです。しかし日本ではあまり活動状況が好転せず、1975年にアメリカへと渡りニューオリンズやロスなどのホテルでワンマンショーを行っていました。


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そのショーを見ていた有名なコメディアン、レイカルド・デュオ氏からオファーを受けてカーネギーホールにも立ちました。因みに、現在では高橋真梨子やyoshikiさんなどがライブを行っており、日本人アーティストでもライブを行える場所になりましたが当時は日本人で二人目の快挙でした。

帰国後は、日本人の作曲家ではなく外国人の作曲家に依頼して数枚の作品をリリースしていますが、それほど売れることはなく厳しい活動状況となりました。そして、体調を崩して思うような活動状況にはなりませんでした。

まとめ

今回は朱里エイコさんをいろいろな角度から掘り下げてきましたが、再デビューを経験されており、朱里エイコに芸名を改名してからブレイクしたようです。しかし、ブレイクしてスターダムをつかみましたがあまりの忙しさに失踪事件を起こしてしまいました。

大抵は失踪事件を起こすとその後の芸能活動は上手くいきません。朱里エイコさんの場合もそれに当てはまり、日本ではあの芸能人は危ない人というレッテルが貼られてしまい日本での活動がやりづらい状況となったようです。

歌手としての評価もどう評していいのかがよく判りません。ヒット曲は確かに持っているが失踪癖がある。しかし、アメリカのホテルでディナーショーを成功させていたことから本来であればもっと評価されてレジェンド扱いされてもいいのです。

しかし、日本では一度そういう問題を起こすと立場が回復することなどあり得ません。その理由は芸能人の誰かがそのような事件を起こしてしまうと、ワイドショーなどで過去を振り返るようなビデオが放送されるもので忘れられることがないからです。

そのためそのレッテルはついて回ります。それを払しょくするのは並大抵のことではありません。これは昭和の時代の出来事でしたが、現代で同じような事件を起こせばおそらくその芸能人はもう2度と昔のような活動はできません。

また、朱里エイコさんが晩年どのような病気で苦しんでいたのかなどの情報はありませんので、今後誰か語る人がいればその辺のことが明らかになります。

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