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日吉ミミと死因。結婚は?歌手としての評価と「男と女のお話」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]〈COLEZO!〉ビクター流行歌 名盤・貴重盤コレクション(14)男と女のお話

歌手の日吉ミミさんを色々な角度から掘り下げていきます。

プロフィール

  • 芸名 日吉ミミ
  • 生年月日 1947年7月21日
  • 出身地 埼玉県浦和市
  • カテゴリー 歌手
  • 活動開始 1967年

死因。結婚は?歌手としての評価と「男と女のお話」の誕生秘話は?

死因については、すい臓がんで2010年8月10日に他界しました。64歳という若さで他界。本人の遺志により近親者のみで葬儀は行われお別れ会のようなものも執り行われませんでした。

結婚しているのかについては、他界するまで結婚しており旦那さんの氏名は黒岩慶三氏、所属事務所の社長を務めていました。子供に関しての情報はありませんでした。今後もおそらく出てくることはないと思います。

続いては歌手としての評価ですが、1967年5月に池和子の名義でデビューし3枚のシングルをリリースするものの、ヒットに恵まれることはなく日吉ミミに改名しました。改名後2作目の作品としてリリースしたのが、「男と女のお話」です。

オリコンのチャートでは最高6位、累計売上は60万枚を超えています。また、本作品に収録されているオリジナルカラオケは、現在では一番古い音源とされています。理由は所属レコード会社がカラオケのマスター音源を処分してしまったためです。

また、紅白にも「男と女のお話」で出場しました。本来は江利チエミさんにNHKはオファーを出していましたが、江利チエミさんが『ヒット曲がなく、前年に比べて歌唱力が上がっていない』という理由で紅白を辞退したため転がってきたチャンスです。

この当時紅白歌合戦に出演が決定しながら、辞退するのは初めてのことで当時は世間を驚かせましたが、後に越路吹雪さんなども辞退し歌手の意思が通りやすくなりました。現在も紅白歌合戦を巡っては出場歌手選定に苦慮している節があります。


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最近は、NHKホールに歌手が出向かなくとも中継先からの歌唱もOKとなり相当出場条件も柔らかくなってどちらかというと歌手のほうが上位という立ち位置に変わりつつあります。

日吉ミミは、「男と女のお話」のヒット後、しばらくヒットに恵まれない不遇の時代が続いてしまいましたが、1978年に「世迷い言」が、リリースされてヒットを記録しました。作詞、阿久悠、作曲、中島みゆきでした。

この曲はTBSで放送されていたムー一族の劇中で歌われた曲で日吉ミミさんが歌い再び掴んだヒット曲でした。その後も歌手活動は継続しており1980年代にはバラエティー番組に出演するなどタレント的な活動もしていました。

歌手としてはヒット曲も2曲有り、ある特定の世代には歌手としてよりもタレントとしての認識という可能性もあります。しかし、歌唱力は間違い無く今後もファンが増えていく可能性もあり、楽曲もカバーされています。

まとめ

今回は日吉ミミさんを掘り下げてきましたが、あまり歌手活動はスタートから上手く行きませんでした。歌手として再起を懸けたくて改名し、日吉ミミとしました。その後2枚目でヒットを掴んでブレイク歌手となりました。

また、紅白出場も先輩歌手の江利チエミさんが紅白出場を辞退したことで転がり込んできたチャンスを物にした物で有り、江利チエミさんが紅白辞退を言い出さなければチャンスも来なかったのでやはり芸能の仕事は運が命と言えます。

紅白歌合戦については、その後も出演辞退事件などが起こり歌手にとっての紅白歌合戦の存在意義が問われるような事態になっています。また、NHKも出演者がいなくなると困るので最近ではバラエティー化が進んでいます。

軸足は歌手に置いていましたが、タレント的な活動もしており様々な世代に日吉ミミの名前を轟かせることは出来たと思います。そのため日吉ミミは歌手というイメージではなく歌の上手いタレントだと考えている人も多いのでは無いかと思います。

今後も生前残した歌が、色々な歌手に歌い継がれていくと思われますので何かの機会で日吉ミミの名前を知ることになるでしょう。

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