大塚博堂の死因は?生前の評判や性格は?「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の誕生秘話は?
2017/08/14
出典:〔amazon〕大塚博堂MEMORIAL BEST+LAST LIVE
現在は亡くなってしまいましたが、今回は大塚博堂さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 大塚博堂
- 生年月日 1944年3月22日
- 出身地 大分県 別府市
- 血液型 ?
- 所属事務所 渡辺プロダクション
- 所属レコード会社 東芝EMI
死因は?生前の評判や性格は?「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」の誕生秘話は?
大塚博堂さんは、現在他界され死因は脳内出血です。そのため現在はCDでしか歌を聴くことしか出来ません。昭和51年に現在の芸名で再デビューを果たし、その5年後に脳内出血で他界したわけですから、凝縮した5年間を過ごしたのでは無いかと思います。
デビュー前には生まれ故郷の大分や博多のジャズクラブで歌を歌い歌手活動をスタートさせていました。そんな歌っている姿を見ていた所属事務所渡辺プロダクションにスカウトされて上京しました。
上京して直ぐに売れるのか?というと、そうでもなくやはり売れることはなく芸名も大塚たけしという芸名でした。シングルレコード2枚をリリースしましたが、殆ど売れることはなく鳴かず飛ばずの状態が続いていました。
歌手としての活動をあきらめるわけではなくその後も、東京のクラブで歌う日々を過ごしていました。そんな中で詩人藤公之助の詩集と出逢いその詩に勝手に曲を付けて歌っていました。そんな中で青山のクラブバルセロナで弾き語りが話題となり、昭和51年『ダスティーホフマンになれなかったよ』でデビューしました。
では生前の性格や評判はどうだったのかについて掘り下げて行きます。まず、性格についてですがキャラナビ図鑑から引用します。(URL: http://zukan.60chara.jp/talent/88096/)
(以下引用)
大塚博堂さんの性格は・・・
気さくでフレンドリーな面も。変化に向けて即行動する実践派
おおらかでワイルドな男性に対し、女性は一見、気位が高く見えますが、気を許した相手には気さくでフレンドリー。内面は好き嫌いが激しく、ひらめきだけで生きているように見えるのですが、実際は計算高く駆け引き上手。人のよい親分タイプなので、人にだまされ無用な苦労を背負うことも。今の安定を壊したくないと思う反面、常に変化を求めています。物事を複雑に考えることや面倒事は嫌いで、単純思考のもち主。また短気で持久力がなく、即行動する実践派です。
強靭な翼をもつペガサスはこんなタイプが好き
♀ 繊細な感受性をもった誰もがハンサムと認める人が好き。束縛を嫌うペガサスなので、理解ある年下も好き。
♂ ムラ気なペガサスだけに、見かけはやや地味めでもいいから、純粋で、現状維持ができる人が好みです。
(引用終了)
続いては評判について書いて行きます。ネット上を探してみましたが生前の評判を知る人や記事を見つけることは出来ませんでした。最後に『ダスティンホフマンになれたかったよ』について書いていきます。
リリースしたのは1976年6月25日にリリースされた作詞は、大塚博堂が売れる前から詩に曲を付けて歌っていた藤公之助、作曲は大塚博堂、歌詞の内容はダスティンホフマンが主演した映画『卒業』に準えて歌詞が作られた物だと思います。
卒業という映画は、ダスティンホフマン演じるベンが別れた恋人の結婚式に乗り込んでその恋人を奪い逃走すると言う、映画です。現実であれば相当あり得ない展開ですが映画だからこそ出来る展開となる物です。
大塚博堂さんのこの曲には、そんな後悔などを盛り込んで歌詞を作っていったのかもしれません。タイトルにダスティンホフマンを持ってくるところ当り、流石にヒットを狙って書いた物だと思わせますね。
まとめ
大塚博堂さんについては既に他界されてしまっているため、あまりエピソードが残っていないのが残念でした。しかし良い曲である事は間違いなく今後も時代を超えて名曲と言われる物になりそうな気がしますね。