グレープの現在の活動。さだまさしと吉田正美の仲は?「霊(しょうろう)流し」の誕生秘話は?
2017/08/04
出典:〔amazon〕グレープラストコンサート・伝説の神田共立ライブ(通常盤)
伝説のグループであるグレープを色々な角度から、掘り下げて行きます。
プロフィール
- グループ名 グレープ
- 活動期間 1972年~1976年
メンバー
さだまさし (ギター、ヴァイオリン、ボーカル)
- 生年月日 1952年4月10日
- 出身地 長崎県
吉田政美 (ギター)
- 生年月日 1952年9月29日
- 出身地 東京都 江戸川区
現在の活動。さだまさしと吉田正美の仲は?「霊(しょうろう)流し」の誕生秘話は?
グレープの現在の活動は、1976年を最後に継続的には行われていませんが、さだまさしのソロアルバムに吉田政美がギターで参加し、また時にはさだまさしの別アルバムでライナーノーツを書いています。
2003年から2007年に掛けては限定的にグレープとしてさだまさしの地元長崎にてライブを行うなど、つかず離れずと言った形で活動を行い、その度に継続的に再結成が有るのでは無いかとファンに期待させています。
では、ここからさだまさしと吉田政美の仲は?という所に話を進めていきます。まず、グレープが解散した理由はさだまさしの体調不良による物で、もしさだまさしの体調が万全なら恐らくグレープは現在も活動していた可能性があったと思われます。
さだまさしさんはグレープ継続のため、当時のレコーディングディレクターにグループの活動休止1年を提案しましたが、『世間に忘れ去られてしまう』とはねつけられた上、霊流しのヒットで、グレープ=暗いというイメージをはねのける事が出来ず、自分たちの思った音楽を世間に発信することが出来ないジレンマにストレスも溜まっていた物と思われます。
そのため、さだまさしさんと吉田政美さんの仲は悪いわけではなく、やむを得ない事情で活動継続が出来なくなった解散ですから、状況が整えばいつでもまた活動が出来るほど仲が良いと思って間違いありません。
解散後さだまさしは、半年休養しソロアーティストとして再スタートを切りました。なお、この期間に就職活動をしていたと言う説もあり、それが上手く行かなくて音楽を続けたとも言われていますが、定かではありません。
個人的には、さだまさしは言葉とメロディーを紡ぎ出す天才ではないかと思う節があるので、音楽活動を続けて良かったと思いますし、それしか出来ないそう思いました。その証拠に『関白宣言』や『防人の歌』等名曲を世間に送り出し今後もその年代に合わせた楽曲が送り出されてきそうです。
相方吉田雅美さんは、解散した同年に吉田政美と茶坊主を結成し元々好きだった音楽性の追求を初めて行きました。当時流行っていたクロスオーバーやAORと呼ばれるサウンドを盛り込んだアルバムを制作し活動も行いました。
その後レコード会社へ入社しレコーディングディレクターとしても活動し、裏方でJPOPの屋台骨を支えていました。年齢的に考えても現在はレコード会社を離れている可能性もあります。
最後にグレープのヒット曲、『霊流し』について書いていきます。さだまさしさんはこの様な思いを込めてこの曲を制作しました。(以下URL: http://www.tapthepop.net/day/33262より引用)
恐らく幼い頃から、長崎に投下された原子爆弾のことを聞きいつかこの事を歌にしたいと考えて制作された物かと思われます。しかしながら、細部に至るまで良く描かれた歌詞も凄いと感じてしまいました。
まとめ
グループを解散するのには、色々な理由がつきます。一番多い理由というのは方向性の違い、これについては音楽を始めるときから、お互いに好きな音楽が当然異なっている事は当たり前で、それでも妥協点を見つけグループを組み活動を継続していきます。
グレープの場合はさだまさしさんの体調不良が引き金で解散しましたので、解散理由の中では穏やかな物だったような気がします。その証拠に事ある毎にグレープを再結成しているので、今の状態がさだまさしさんにとっても、吉田政美さんにとっても良い状態なのかもしれません。