チューリップの結成から経歴。「青春の影」「サボテンの花」「心の旅」の誕生秘話は?
2017/11/30
出典:〔amazon〕TULIP BEST 心の旅
最近では、コンサートツアーを予定していましたが、財津和夫さんの病気が発覚し中止となり、病気の完治を待つばかりとなっています。今回はチューリップを色々な角度から掘り下げます。
プロフィール
バンド名 チューリップ
メンバー(現在)
- ボーカル 財津和夫
- ギター 姫野達也
- ベース 宮城伸一郎
- ドラム 上田雅利
結成から経歴。「青春の影」「サボテンの花」「心の旅」の誕生秘話は?
1968年にフォークグループとして結成、この当時からグループに残っているのは財津和夫さんのみでその時のメンバーは残っていません。アマチュア時代だけでも2度のメンバーチェンジを繰り返しています。
地元福岡のライブハウス照和に出演し、メジャーアーティストよりも人気を博しレコード会社のスタッフも見学に訪れる程でした。1972年に東芝レコードから『魔法の黄色い靴』デビューを果たしました。
3作目に当たる『心の旅』がヒットし、注目を浴びました。この曲はチューリップにとって勝負曲であり、デビューシングルとセカンドシングルが不発に終ってしまった。追い込まれたチューリップにとってこれが当たらないと福岡へ舞い戻るしかないそんな状況の中で作られた物です。
メインボーカルも財津和夫さんでは無く、ギターの姫野達也さんが取りポップミュージックが出来上がりました。当時の音楽に少し飽きていて新しい物を求めていたリスナーにとってこの心の旅は斬新な物と受け取られており、大ヒットシングルとなりました。また当時アイドル的扱いを受けて一種の社会現象となりました。
心の旅が売れた後暫くは人気を保ち続け、バンド活動も順調に運んでいったようです。そして7枚目のシングル『青春の影』が再び大ヒット。心の旅のポップ路線から軌道修正をしたかったため、財津和夫さんによるとビートルズのThe Long And Winding Roadをモチーフにしてこの曲を制作しています。
このシングルをリリースする際は、当時のレコード会社と衝突しました。当時のレコード会社の考えでは、今までの路線を踏襲した物をリリースして欲しいという物で青春の影に対してはこの曲はシングル向きでは無いからリリースをやめた方が良いと言われた様です。
レコード会社のスタッフはディレクターの新田和長さん(元ザリガニーズ)だけは理解を示してくれており、あまり歓迎された曲では無かったようです。また、新田さんは当時この作品のリリースに際しての思いを語っています。(以下http://www.tapthepop.net/news/65530より引用)
「売れ線のポップナンバーばかりじゃいつか必ず飽きられるし、いつまでたってもファンの年齢層も上がらない。彼らは短命のアイドルグループで終わる存在ではないと思ってました。財津君と相談して“できるだけチューリップで長くやりたい”という意思を確認して、この曲のリリースを決めました。」
また、財津和夫さん自身もインタビューで青春の影について答えています。(以下http://www.tapthepop.net/news/65530以下引用)
「僕なりの“読み”がありました。コンサートを主体として、できるだけチューリップというバンドを持続させるためにはどうしても“青春の影”のような楽曲が必要だと判断したんです。」
確かにレコード会社とアーティストの衝突は良くあることで、そのことがきっかけでレコード会社を離れるアーティストも多いのです。それだけレコード会社の戦略とアーティストの思いは結構ズレていますね。
ヒットチャートの結果は、やはり鈍い物となり大ヒットとは行きませんでした。後からじわりじわりと売れる形となりました。しかしこの曲を納得する形でリリースできたことでバンドとしても長く活動することが出来たのかもしれません。
その後、9枚目のシングル『サボテンの花』で再び脚光を浴びますが、この曲は岬めぐりのアンサーソングとして財津和夫さんが作詞作曲した物です。また、財津和夫さんがソロでサボテンの花をセルフカバーしたためそちらの方が印象に残っている人が多いのかもしれません。
数々のヒット曲を残したチューリップですが、1989年に一度解散を宣言しその後は周年毎に復活と休止を繰り返しています。また、その度にメンバーが違うのもサウンドへの拘りがあるのかもしれませんね。
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まとめ
チューリップは、今でもバンドとして現存しています。財津和夫さんの病気が治ればいつまでも復帰すると思われます。