松山千春の若い頃。デビューの経緯と評判は?「旅立ち」「銀の雨」「恋」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕松山千春ゴールデン☆ベスト
先月に飛行機出発遅れによる機内の良くないムードを何とかしようと、スピーチと歌を一節歌ったことが、神対応といわれたことでお馴染みとなった松山千春さん今回はデビューの経緯と評判それと楽曲についても触れていきます。
プロフィール
- 氏名 松山千春
- 生年月日 1955年12月16日
- 出身地 北海道 足寄町
- カテゴリー シンガーソングライター
- 所属事務所 オフィスゲンキ
若い頃。デビューの経緯と評判は?「旅立ち」「銀の雨」「恋」の誕生秘話は?
松山千春さんの態度は若いころから終始一貫しており、テレビ番組で時折見せる横柄な態度は照れ隠しまたは、虚勢を張っているとも言えます。若い頃は、長髪で精悍な顔をしており女性にも人気があったという評判です。
松山千春さんのデビューのきっかけは、19歳の時に出場した全国フォーク音楽祭』帯広大会に出場したことでした。この時札幌のSTVのディレクターだった竹田氏と出会い、この出会いが大きく運命を変えていきます。
この時松山千春さんが歌った歌は、デビュー曲にもなった『旅立ち』この曲は高校生の時に制作した曲です。歌い終わった瞬間竹田氏の口から『ギターが悪いな』と一言だけ出たようです。
この言葉に当時の松山千春さんは、『俺はギターの品評会に来たわけじゃないです。』歌はどうだったのかと食って掛かり、結局全道大会(北海道の代表が集まる大会)に進むものの、ほかの審査員には評判が悪く、態度が災いして不合格となりました。
しかし、竹田さんだけは松山千春さんを見捨てずSTVラジオで15分のコーナーを持たせてくれました。しかし、毎週2曲の新曲を作り発表しなければならないという条件付きでした。
また、松山千春さんもその思いに応え半年間で48曲を書きました。そしてその曲を持って竹田さんはレコーディングしてデビューさせようと画策しましたが、会社に猛反対されそれに対して竹田さんの出した答えは退職金の前借でした。
その熱意に会社は折れて、念願のレコーディングにこぎつけました。沢山ある曲の中から、竹田さんと自分を結んだ曲旅立ちが選ばれました。結果は北海道内のラジオチャートで一位を獲得し、スターダムへと駆け上がりました。
ここまではデビュー曲と経緯について触れてきました。続いては松山千春さんの楽曲『恋』と『銀の雨』について書いていきます。
『恋』は、四国のコンサートで歌っている時に当時付き合っていた孝子さんの事が頭に浮かび、札幌に戻りプロポーズをしたというケジメの楽曲となっています。歌の内容は長く付き合っていた女性が見切りをつけて何も言わずに男の目の前から姿を消すという歌なので内容は実話じゃなくて創作の可能性もあります。
続いては『銀の雨』について書いていきます。元々はセカンドシングルのA面となる予定の曲でしたが、悩んだ末にB面曲となりました。この曲をリリースしていたらアイドル扱いされ、自分も天狗になっていた可能性があると本人も語っているほど本人の中では分岐点となった曲でした。
色々と悩んで楽曲は世の中に出てきているという事がはっきりと解ったような気がします。これによって分かったことは、あの横柄な態度は自信の裏打ちであることがわかりましたよね。
しかしながら、『俺と美空ひばりは5分』だなという言葉には驚いてしまいました。確かに歌が上手いことは認めますけど、あれは少し言い過ぎたなそう感じてしまいますよね。今後も爆弾発言が沢山飛び出す可能性がありますね。
まとめ
今回は松山千春さんを掘り下げていきましたが、デビュー当時から態度は今と変わらないところはすごいと思いますね。普通は色々とその時代により態度が変わっていくのが普通ですが、それを変えないところは逆にかっこいいと思いますね。今の時代のミュージシャンや芸能人ならとても真似できませんよね。