甲斐バンドの現在。メンバーの活動は?「バス通り」「最後の夜汽車」の誕生秘話は?
2017/08/14
出典:〔amazon〕甲斐バンド・ストーリーII
福岡出身のバンドの一つである甲斐バンド、ベテランの領域に突入し久しいのですが、現在はどうなっているのかなど色々と調べて書いて行きたいと思います。
プロフィール
- バンド名 甲斐バンド
- 活動開始年 1974年
構成メンバー(デビュー時)
- ボーカル 甲斐よしひろ
- ギター 大森信和
- ドラム 松藤英男
- ベース 長岡和広
現在。メンバーの活動は?「バス通り」「最後の夜汽車」の誕生秘話は?
甲斐バンドはバンド名に甲斐と着いていることが象徴されるように、甲斐よしひろが活動したいと思えばスタートするバンドであると言えます。1974年にバンド活動を開始し、1986年に解散しました。
その後は、甲斐よしひろさんはソロアーティストとして活動を開始しました。しかし、甲斐バンド解散10周年で限定復活、以後事ある毎に解散と復活を繰り返しています。さて、バンドメンバーは今何をしているのか?という所に話は移っていきます。
ボーカルの甲斐よしひろさんは、甲斐バンド解散前からソロ活動を開始しており、今までソロとしてシングル16枚、アルバム7枚、コンピレーションアルバムやアーティストプロデュースなどを精力的に行っています。
また、1993年にはカイファイブというロックバンドを結成し、『風の中の火のように』という曲がヒットし、甲斐よしひろここにありをアピールしました。
ギターの大森信和さんは、1986年甲斐バンドを難聴のため脱退しその後、音楽専門学校の講師になる等、音楽と関わりのあるところで人生の歩を進めていた。また、解散から10年目の期間限定活動の時に参加し、その後ソロアルバム3枚をリリースし、2004年7月5日に心臓疾患のため他界されました。
ドラムの松藤英夫さんは、現在もミュージシャンとして活動を続けソロアルバム2枚をリリースしています。
ベースの長岡和広さんは、1979年に体調不良を理由に甲斐バンドを脱退しましたがその後音楽プロデューサーとして、斉藤由貴や谷山浩子さん等をプロデュースしました。
なお、甲斐バンドのメンバーは現在活動再開する度に入れ替わっているため、デビュー時のメンバーを紹介しました。
続いては、甲斐バンドのデビュー曲『バス通り』と『最後の夜汽車』の誕生秘話について書いて行きます。バス通りは甲斐バンドにとって記念すべきデビューシングルとなる物でした。
作詞、作曲は甲斐よしひろさんオリコン初登場65位でセールスは6万枚と売上げが振るいませんでした。当時新人アーティストは10万枚売れれば合格ラインと言われていたため、微妙な感じと言えるところかもしれません。
実はこの曲を書いたことでフォークロックバンド的な扱いを受けてしまったため、それを回避しようと、裏切りの街という曲を書いてロックバンドとしての路線を保ったようです。
歌詞の中身はとても切ない内容となっており、自身の初恋を歌った物では無いかと感じました。
続いては、甲斐バンドの中で名曲と名高い『最後の夜汽車』について書いていきます。この曲は甲斐バンドの4枚目のアルバム、『この夜にさよなら』に収録されていた楽曲です。具体的な誕生秘話は残っていませんが、甲斐よしひろさん自身の歌い手としての心の奥底の思いを歌にしたものかと思いました。
まとめ
甲斐バンドというと、かなり昔のミュージシャンというイメージがありますね。ボーカルの甲斐よしひろさんが落語家の笑福亭鶴瓶と仲が良いので、当時鶴甁と上岡龍太郎氏が放送していた鶴甁上岡パペポテレビに突然出演し、トークを繰り広げたことを今でも覚えています。
その時はミュージシャンと言うよりも、トークの面白い人という印象を得ました。当然安奈やヒーローについては時代を超えて歌い継がれる名曲のため認知していましたが、相当な紆余曲折があり現在に至っていると感じました。
今後も節目事に甲斐バンドは復活してくると思いますので、機会があったら聞いてみたいと思いました。