岸田智史の現在。敏志への改名理由と性格。「きみの朝」の誕生秘話は?
2017/08/05
出典:〔amazon〕エッセンシャル・ベスト 岸田智史
最近では俳優として活動をしていることが多い、岸田智史さんですが過去には歌手として活動していた時期もありました。今回はその当時の事や、性格や現在の活動状況などを書いて行きます。
プロフィール
- 氏名 岸田敏志(本名 稲田英彦)
- 生年月日 1953年4月18日
- 血液型 ?
- 出身地 岡山県 真庭市
- カテゴリー 俳優、歌手
- 所属事務所 フレンズ・ケイ・カンパニー
現在。敏志への改名理由と性格。「きみの朝」の誕生秘話は?
2017年は、岸田敏志さんにとって芸歴40年の節目の年となるようです。そのため歌手としての活動が多く、全国各地の会場でライブを開催したり、イベントメディアに出演する予定が組まれています。
直近の予定を掲載しておきます。
以下オフィシャルホームページより引用
にっぽん丸クルーズ NEW!!
- 夏の利尻・礼文クルーズ(新潟発) 2017年6月26日~29日 4日間の旅
- 岸田敏志のコンサートがあります。
- お問い合わせ 商船三井客船クルーズデスク http://www.nipponmaru.jp
- TEL 0120-791-211
第2回 埼玉歌謡祭inミューズ NEW!!
- 第2回 埼玉歌謡祭inミューズ 2017年5月19日(金)
- 午前の部 10:30開場/11:00開演
- 午後の部 14:30開場/15:00開演
- 場所:所沢市民文化センターミューズ マーキーホール
- 料金:¥3.500(税込)全席指定
- チケット申し込み:ミューズチケットカウンター
- 04-2998-7777
(引用終了)
やはり過去のヒット曲があり、現在も俳優としても活動されているため、知名度は相当高いその様なイメージを持ちました。聞きたい人が全国各地にいると言うことですからその期待に応えてライブ活動が忙しいようですね。
ここ数年俳優としての活動は行っていないようです。やはり2011年に巻き込まれた事故が引き金となっていると考えられますね。その事故とは三郷インターチェーンジで渋滞に巻き込まれ、車の速度を緩めたところ後ろから追突され事故に発展しました。
追突相手は大学生で、岸田敏志さんはこの事故で腰椎と頸椎を捻挫してしまい、しばらくの間その事故の後遺症として、左手の小指と左足に麻痺が残りリハビリ生活を余儀なくされたようです。
勿論芸能活動などは出来るはずも無く、ギターも一時期満足に弾けない状態となっていたようです。ライブで披露できるぐらいのレベルまで回復するのに、2年間の時間を要してしまいました。
歌手としての活動再開したのは2013年、現在も多少その時の影響はありますが芸能活動を行うには支障が無い状況のようですね。続いては芸名の改名についてです。自分が知っている芸名は岸田智史でしたが、現在は敏志と改名されています。
その理由をここから掘り下げて行きます。世間がミレニアムで沸く2000年何か注目を浴びることをしたいという事で、改名を思い立ったようです。その理由は以前から芸名として使用してきた智史は書き辛いと感じていてしっくりきておらず、漢字を変えてみたとのことです。
改名から相当なときが経過しても改名したことを知らない人が多く、岸田智志のインパクトの強さを再認識したようです。続いては性格について触れて行きます。岸田敏志を画面で見ると真面目そうだとそんなイメージを漠然と抱いてしまいますが、実際はどうなのでしょうか?
(以下引用 URL: http://eunsei.net/1953/2/17/-/-/male/%E5%B2%B8%E7%94%B0%E6%95%8F%E5%BF%97)
性格面
外見を気にするタイプで、少々エゴイストなところがあります。
(引用終了)
本人が思いつきで改名した芸名ですから、なんとなくそんな感じなんですねと言う感じがしますよね。確かに芸能人は見た目のと本当は全然違うと言いますからね。現時点の芸名ではこの様な感じのようです。
続いては、『きみの朝』について書いていきます。このシングルレコードは岸田敏志さんにとって8枚目の作品で自身も俳優として出演したドラマ愛と喝采との挿入歌として使用され当初のタイトルはモーニングだったが、後にきみの朝に変更されました。
作詞は岡本おさみ、作曲は岸田敏志残念な事にこれと言ったエピソードはありませんが、この曲にヒットにより歌手としても確固たる地位を築いたことは間違いありません。今後も歌い継がれる可能性があります。
まとめ
今後も、歌手として俳優として活動されていくと思いますので応援したいと思います。