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三島敏夫の死因と歌手としての評価。「面影」「松の木小唄」「俺はお前に弱いんだ」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]スター☆デラックス 三島敏夫

音楽キャリアのスタートはハワイアングループのボーカルとしてデビューし、その後和田弘とマヒナスターズの初期メンバーとして加入。ソロ転身後も沢山のヒット曲を持った三島敏夫さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 三島敏夫
  • 生年月日 1926年11月10日
  • 活動期間 1948年~2014年
  • カテゴリー 歌手
  • 所属レコード会社 日本コロムビア

死因と歌手としての評価。「面影」「松の木小唄」「俺はお前に弱いんだ」の誕生秘話は?

死因は、2014年8月17日、食事をしている最中に肉を喉に詰まらせてしまいそれが原因であり低酸素血症。京都府内の病院で他界しました。享年87才不慮の事故と言われており1月に集中する事案です。

毎年1300人が亡くなっているもので、良くあるのは高齢者と言われる年代の人が正月に餅を喉に詰まらせて他界してしまう事故で窒息してしまうと脳に酸素が行かなくなるので障害を引き起こし死に至ると言うメカニズムです。

対処法は小さく切り、時間を掛けて飲み込んでいくと言う食べ方しかないようです。そうすると対処出来るようで年を取ると飲み込む力が弱まり若い頃なら食べることが出来た物が出来なくなるためです。

歌手としての評価は、音楽キャリアのスタートがハワイアングループのボーカルとしてデビューしたため、知名度が高く甘い声の持ち主です。その後、和田弘とマヒナスターズのボーカルを勤めました。

ソロに転身しても後に紹介するヒット曲も多数持っています。また、和田弘とマヒナスターズの初代ボーカルを勤めたことでも知られています。1997年に音楽キャリア50年を迎えたので音楽業界的にも歌が上手いということで知られた逸材だったとも言えます。


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ここからは、三島敏夫さんの楽曲「面影」「松の木小唄」「俺はお前に弱いんだ」について書いて行きます。「面影」作詞、水島哲 作曲、狛林正一のコンビで作られ1964年にリリースされました。可愛いあの子の面影をと歌う郷愁ソングで三島敏夫さんの代表曲の一つと言える物です。

「松の木小唄」は、1965年にリリース競作で三島敏夫さんの他にも朝丘雪路、二宮ゆき子さんと歌詞違いのカバーをしており、代表曲として数えられています。作詞は、藤田まさと、夢虹二、作曲者不明

「俺はお前に弱いんだ」は、石原裕次郎さんがシングルレコードとしてリリースしました。175万枚の売上を記録しており、石原裕次郎さんのシングルの売上げベストテン中でも
8位の売上を誇っています。

三島敏夫さんがリリースしたのは1967年、石原裕次郎さんは1964年と3年後である事から三島敏夫さんがソロ名義でカバーした物として考えて良いでしょう。作詞、石巻宗一郎、バッキー白片、作曲で制作されました。

両曲を聞き比べると声は石原裕次郎さんの方が良いですが、切なさが出ているのは三島敏夫さんの方だと考えます。また、ハワイアンテイストが強く出ていてスチールギターがバッキングでむせび泣いているのが印象的です。

また、昭和歌謡にありがちの語り+歌という組合わせが絶妙に良い感じを醸し出しています。

まとめ

今回は三島敏夫さんを掘り下げてきましたが、戦争経験者ではあるが出兵する直前に終戦を迎え、結局戦争に行ってはいないという事である意味幸運の持ち主である事がこの出来事だけでも証明されていると思いました。

また、その後明治大学に進学し音楽にのめり込んで行くわけですが、色々なグループを渡り歩きました。各グループでそれなりの実績を作りソロに転身してからも競作やカバーが多かったですが、ヒット曲を持つことが出来ました。

1997年に歌手として50周年を迎えるなど、精力的にステージやメディア出演を熟していたと考えられます。もし、窒息死していなければ今もステージやメディアに出演していたと思います。

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