フォークソングカフェ

フォークソングや歌謡曲の名曲やアーティストを語るブログ

女性歌手

緑魔子の現在。夫は石橋蓮司?「昭和柔侠伝の唄〜」のエピソードは?

2017/07/29


スポンサーリンク

出典:〔amazon〕アーリー・イヤーズ~シングル・コンピレーション+

今回は緑魔子さんの現在や夫の石橋蓮司さんとの関係などを掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 緑魔子 (本名 石橋良子)
  • 生年月日 1944年3月26日
  • 血液型 ?
  • 出身地 宮城県
  • カテゴリー 歌手 女優
  • 所属事務所 オフィスロータスエンターテインメント

現在。夫は石橋蓮司?「昭和柔侠伝の唄〜」のエピソードは?

現在も女優としての活動を継続しています。直近の出演作品は、2012年に放送されたNHKドラマ『キルトの家』、同年にWOWOWで放送された『ヒトリシズカ』、2014年WOWOWで放送された『うもれる』、昨年は大阪ABC設立65周年ドラマ『氷の轍』に出演しています。

この他では、映画や舞台と女優として存在感を失っては居ないそんな感じがしました。一部では伝説の女優などと呼ばれています。しかし、個人的感覚ではばりばりの現役女優である事は間違いありません。

最近は年齢の事もあり、昔よりメディアへの出演が減少している関係で活動していないように思われているようです。女優といっても脇を固めるタイプの人、主役として活動する度にメディアに名前が躍る人と色々なタイプが居ますよね。

続いては夫石橋蓮司さんとの関係性についてです。石橋蓮司さんと緑魔子さんは1966年『非行少女ヨーコ』での共演をきっかけに交際を始めました。この時のお互いの立場は、緑魔子さんは売れっ子スター、石橋蓮司さんは低迷期で無名の俳優でした。しかし、石橋さんはそんな緑魔子さんに『おまえさぁ』と話しかけ、相手の懐に入る事に成功したようです。

1979年に結婚とは発表されていますが、実際に同居期間が長いためいつ結婚したのかははっきりしないみたいです。また、結婚までの間に娘さんが出来ており小学校入学を機に入籍したようです。


スポンサーリンク

しかしながら、お互いに独自の価値観を持ち合わせているため我々が思っている結婚とは違うようです。1987年から2人は別居婚を選択しており、現在もその様な状態が続いています。

ここで少し石橋蓮司さんに触れておくと、芸歴は1953年中学1年生の時に子役デビューし、その後1976年劇団第7病棟を結成し、座長として俳優として未だ欠かせない存在となっています。

続いては緑魔子さんの歌手としての一面を取上げていきます。その中でも歌手のあがた森魚さんとデュエットした作品、昭和柔侠伝の唄です。この曲の正式タイトルは、『最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)』発売は1974年キングレコードから発売されました。

のちに、アルバム「噫無情 / レ・ミゼラブル」に収録されました。このアルバムはあがた森魚さんのアルバムの中でも最高傑作と言われています。レコードジャケットはバロン吉元さんが描いた物です。

また、このアルバムのプロデューサーは、作詞家松本隆さんでこのアルバムのコンセプトはキネマつまり映画の中に流れる音楽をコンセプトに先行シングルとして『最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)』がリリースされたようです。

緑魔子さんはこの歌で女性パートを歌う歌手として、起用されたのでは無いかと思われます。因みに作詞・作曲はあがた森魚さんですが、また、近年このアルバムの再現ライブが行われ、緑魔子さんがゲストとして参加していました。

また、この曲は桃井かおりさんがデュエットしたバージョンも存在します。

まとめ

人に歴史ありまさにそれですね。現在も現役の女優として活動を続けており、あがた森魚さんとのデュエット作品もある。というマルチな活躍を続けていますね。何故にデュエット相手が緑魔子さんになったのか?等あがた森魚さんに語ってほしいものですね。昔の女優さんは歌も演技も出来るのが当たり前で緑魔子さんも劇団に所属しながら舞台に立っていますから、歌も相当上手く歌える可能性はとても高いと感じました。

今後も歴史を積み重ねていく事は間違いありませんね。石橋蓮司さんとの関係性も一般人には理解出来ないそんなイメージを持ちました。

〔amazon〕緑魔子のCDはこちら。

スポンサーリンク

関連記事


-女性歌手