尾藤イサオの現在。事務所は?病気の噂は?「悲しき願い」「あしたのジョー」の誕生秘話は?
舞台で活躍を続ける尾藤イサオさんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 尾藤イサオ (本名 尾藤 功男 )
- 生年月日 1943年11月22日
- 出身地 東京都 台東区
- カテゴリー 歌手、曲芸師
- 所属事務所 ケーワン・プロモーション
- 活動開始 1961年
現在。事務所は?病気の噂は?「悲しき願い」「あしたのジョー」の誕生秘話は?
現在も俳優として活動をしていますが、新しい仕事の発表はありません。元々舞台が主軸の人であまりテレビドラマなどには近年出演していません。昨年末と今年の1月にコンサートとディナーショーを開催しましたがそれ以外の発表はありません。
徐々に客を入れてエンタメ業界も復帰の兆しを見せていますが、まだ大々的にライブなどの活動は出来ないようですが、新型コロナウイルスの動き次第という事になります。今後収束することを願うしか無さそうです。
事務所に関しては、アトリエダンカンに所属していましたが2014年に倒産してしまいその後はケーワン・プロモーションに移籍しています。これ以外には、事務所移籍したという話は無いので現在も所属していると考えて良さそうです。
尾藤イサオさんには、病気の噂があり調べてみましたが黄斑変性症と言う病気を持っており、40代の時に発症して今でも付き合っているようです。放置すると視力が低下して失明する可能性がある病気と言われています。
喫煙や運動不足などの生活習慣の悪さがこの病気を招くのでは無いかと言われていますが、原因ははっきりとしません。最近では歌手の和田アキ子さんも黄斑変性症を患っており近々手術をすると言う話をラジオでしていました。
ここからは「悲しき願い」「あしたのジョー」について書いて行きます。「悲しき願い」は元々ピアニスト兼歌手のニーナシモンズが1964年に歌唱しましたが、ヒットチャートには入らず、その後Animalsやサンタ・エスメラルダにもカバーされました。
1965年尾藤イサオさんがこの曲をカバーして大ヒットしました。その後1970年代にも尾藤イサオ&ドーン名義で歌唱するほど尾藤イサオさんにとっては縁の深い曲です。当時どの程度売れたのかについての詳細データはありませんでした。
「あしたのジョー」作詞は寺山修司、作曲は八木正生。尾藤イサオさんがレコーディング中に歌詞をど忘れしてとっさにルルルと歌いそれが楽曲の雰囲気にマッチしていたのでそのまま採用されてしまいました。
因みに寺山修司さんはルルルの部分も歌詞が作ってあり、この件については特に寺山修司さんのコメントはありませんが、当時はどう思っていたのか知りたい物です。このあしたのジョーですが、ある意味社会を揺るがしたアニメのひとつと言っても過言ではありません。
アニメも2シリーズ作られ、キャラクターの力石徹が亡くなった際は実際に葬儀が執り行われるという過熱ぶりを見せていました。劇場版アニメ、舞台や実写映画も製作されるなどある意味人気コンテンツです。
まとめ
今回は尾藤イサオさんを掘り下げてきましたが、普段は舞台を中心に活動しているので、実年齢よりも若く見えます。今後も舞台を中心に活動して行くので若さをキープしていきそうな予感があります。
今回この記事を書くに当たり、持病を持たれて芸能活動をしていることを初めて知りました。いつも快活に歌を歌われているので病気の文字は全く頭に思い浮かびませんでしたがかなりの重病を抱えているようです。
また、その病気が生活習慣の悪さが招く可能性があるという病気ですので、色々な事を長年楽しむために中年になったら色々な事を考えないといけないと考えさせられる物でした。痛みがない日々がどれだけ良いかこれについては病気になってみないと見えてこないというのが皮肉です。
今後体が動くうちは舞台に立ち続けて欲しいですし、元気な姿をテレビなどのメディアで見せて欲しいと考えています。現在は日本全体が、一度立ち止まり考えを改める時期ではありますが、また社会が昔のように動き出したときに舞台の上を元気に飛び回って欲しいと思います。