仲宗根美樹の現在。結婚している?年齢は?「川は流れる」「島育ち」「あざみの歌」の誕生秘話は?
両親は沖縄出身ですが、中曽根美樹さんは東京で生まれ育ちその後ヒット曲を掴み二度の離婚と自己破産を経験しています。今回はいろいろな角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 中曽根美樹 (本名 國場 勝子 )
- 生年月日 1944年6月23日
- 出身地 東京都
- カテゴリー 歌手
- 活動開始 1960年
現在。結婚している?年齢は?「川は流れる」「島育ち」「あざみの歌」の誕生秘話は?
一時芸能界を引退しましたが、現在は芸能界に復帰しており歌手と銀座でクラブ経営をしています。しかし、過去には事業をしていた経験もありますが、失敗し自己破産した経験があります。
結婚については2回経験しており、一度目は歯科医師の本多道明さんです。この時長男の一成さんが誕生しましたがほどなく離婚し二度目の結婚は、白橋栄二さん職業は実業家でした。昭和50年に開催された沖縄国際海洋博覧会に合わせてビックマートを開店させました。
しかしオイルショックや海洋博の不人気というダブルパンチで事業が暗礁に乗り上げてしまい多額の借金を背負うことになってしまいました。冒頭にも書きましたが中曽根美樹さんも事業をしていました。
一時はうまく行っていましたが不渡り手形が出て大きな負債を抱え二度目の夫とも離婚する形となりました。また、二人目の夫との間にも娘さんがいます。年齢に関しては1944年6月23日生まれ78歳になっています。
芸能人の人は世間の同世代の人よりは相当若いと思います。若い頃の世間のイメージをそのまま維持しなければならず様々なメンテナンスをしていることは間違いありませんがやはり奇麗なままです。
因みにご長男の一成さんは2008年10月9日に急死しています。死因は癌でした。享年35歳でした。あまりにも若すぎるなと思います。
ここからは中曽根美樹さんの楽曲「川は流れる」「島育ち」「あざみの歌」について書いていきます。
「川は流れる」作詞、横井弘 作曲、桜田誠一
哀愁を帯びたイントロから始まる楽曲です。1961年にリリースされ年末にミリオンセラーとなりました。この曲で紅白歌合戦に出場。人生にいろいろなことがあっても川は流れるという哲学的な歌に仕上がっています。
「島育ち」作詞、有川邦彦 作曲、未界稔
この曲は、田端義男、中曽根美樹、朝丘雪路の3人が歌唱している競作作品で、作詞の有川氏が新民謡を作ろうということで作詞した作品です。当時の奄美大島は米国の統治下にあり様々な制限を受けており郵便物なども自由に送ることも出来ず情報も自由にとることも出来ず渡航も出来ない状態でした。
そのような抑圧された思いを歌にしたためたものでした。ちなみに売り上げは当初は中曽根美樹さんが好調でしたが、最終的には田端義男盤がロングヒットしたという結果になっています。
世間的には3人の歌手の内だれが歌ったものを覚えているのかで世代や年代が判ると思います。
「あざみの歌」作詞、横井 弘、作曲、八洲秀章
伊藤久男さんが歌った曲もあります。聞いた人によってどちらのバージョンが好きなのかははっきりと分かれると思います。個人的には伊藤久男さんバージョンのほうが好きな感じです。
興味のある人は両方聞き比べてみると面白い対比が出来る可能性があります。
まとめ
今回は中曽根美樹さんを掘り下げてきましたが、現在も銀座でお店を経営しています。お店の名前はクラブ美樹という店舗名です。お店の住所は中央区銀座7丁目6の7です。コロナ渦でお店の経営もあまり思わしくないかもしれません。
ですが、銀座は座っただけで数万円という世界で東京の繁華街の中でも一番高い高級店が集まる地域です。その場所で数年も経営をしているということは相当なやり手の実業家といえます。
また、プライベートでは二度の離婚と借金を経験していますが、這い上がってきたというのは凄いです。今後もまた何かの事業を当てる可能性もありますし、歌もリバイバルヒットする可能性も秘めておりやり続けていればまたチャンスが巡ってくる可能性は否定できません。今後の展開が楽しみです。