アントニオ古賀のプロフィール。奥さんや事務所は?「その名はフジヤマ」「クスリ・ルンバ」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕アントニオ・古賀デビュー50周年記念 Nat’s Melody~アントニオ・古賀の世界~
アントニオ古賀さんを色々な角度から掘り下げます。
プロフィール
- 芸名 アントニオ古賀 (本名 伊東貞行)
- 生年月日 1941年2月26日
- 出身地 東京都
- カテゴリー ギターリスト 大学教授
プロフィール。奥さんや事務所は?「その名はフジヤマ」「クスリ・ルンバ」の誕生秘話は?
1948年に日比谷公会堂で鑑賞した古賀政男コンサートで、ギターを弾く阿部保夫氏の演奏を聴き、翌年8歳の時に弟子入りしクラシックギターを学び歌唱面は古賀政夫さんの弟子となり伝授を受けました。
また、芸名のアントニオ古賀の古賀は師匠である古賀政夫さんから取り、アントニオは古賀政夫さんがアルゼンチンに訪問した際に、ギターを教わったアントニオシノボリから取って現在の芸名になっています。
1958年素人ジャズのど自慢で優勝し、それがきっかけでレコードデビューを果たしました。日本コロムビアレコードの専属歌手となり、アルバム『フラメンコスタイル・コガ・メロディ』が発売されました。
その後、単独ライブやテレビ番組の司会などを熟す現在で言うマルチタレントとして活躍し、1976年自身が校長を務めるギタースクールを開講し後進を育てる一方でフラメンコギターのルーツ南米などへ出向き2000年にキューバのカストロ議長とも対話を交わすなど外交面でも貢献しています。
続いては奥さんについて書いて行きます。2003年30歳下の奥さんと結婚しました。この結婚はアントニオ古賀さんにとっては再婚で最初の結婚された方は現在も健在で名前を正子さんと言います。
因みに2003年に結婚した奥さんとの間に2004年男の子が生まれ、現在は15歳で中学3年生か、高校一年生ですね。因みに、名前は音弥君で10歳の時にステージで共演を果たしています。
他にお子さんはいないのかと調べましたが、他に2人いるみたいです。現在ミュージカル俳優をしている泉拓真さんと歌手をやっているJアントニオさんの3人の子供がいます。年格好から言って子供がいないのはおかしいですし、音弥君だけというのはおかしいなと考えていました。
続いて事務所について書いて行きます。株式会社ウェスタという会社に所属しています。
タレントとアーティストが所属していますが、ミュージシャンはアントニオ古賀さんと若手グループone-makeの二組です。
続いてはアントニオ古賀さんの楽曲「その名はフジヤマ」「クスリ・ルンバ」について書いて行きます。『その名はフジヤマ』、トリオ・ロス・パンチョスのチューチョ・ナバロ作曲のSe llama Fujiyamaです。
この曲で紅白歌合戦にも出場し、アントニオ古賀さんの代表曲となっています。続いては「クスリ・ルンバ」この曲は単に薬の名前を列挙するというナンセンス歌謡とも呼ばれるものですが、日本ではたまにこの手の曲は出てきます。
小林旭さんの自動車唱歌、小室哲哉さんが自分の楽曲のタイトルを羅列した楽曲やMi-keも過去のヒット曲を並べた楽曲『白いブランコ』と言うタイトルの曲がありました。しかしながら歌詞を考えなくて良いが文字数が決まっているので制約の多い歌詞であることは間違いなく作るだけでもたいしたものですし作詞家の腕の見せ所です。
まとめ
クラシックギターの名手であるため、現在の音楽シーンからは遠ざかっているように見えても大学教授として色々なものを伝えているようです。まだお元気そうなので今後も後進に歴史を伝えてほしいものです。
クラシックギターやフラメンコギターはある程度の需要があり、ある一定のリスナーもいるので今後も大学教授として、プレイヤーとしてステージなどに立ち続けると思います。今後の動向も楽しみです。
現代のクラシックやフラメンコギターのジャンルで言えば、沖仁やMIYABI等楽しみなギターリストも出てきており、アンティークでありながら、着実に進歩しているジャンルです。