岩井宏の活動経歴。死因と生前の評判は?「かみしばい」の誕生秘話は?
2017/07/31
出典:〔amazon〕30才
関西フォークの雄、岩井宏さんを今回は様々な角度から、掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 岩井宏
- 生年月日 1944年2月23日
- 血液型 ?
- 出身地 京都府 東山区
- カテゴリー フォークソング
活動経歴。死因と生前の評判は?「かみしばい」の誕生秘話は?
フォークシンガーを目指すのは、学生時代がスタートですが一度サラリーマンになってからフォークシンガーとしての活動を開始した変わり種の人です。1968年他の会社に就職していましたが、京都で行われていたフォークフェスで高田渡を見てその後サポートミュージシャンとしてバンジョーを弾いて高田渡と共に全国を回りました。
そしてそのうちベルウッドレコードの社員となり、レコーディングディレクターとしても活動していました。
ではここで当時岩井宏さんが、どの様な立場だったかを書いていきます。関西を中心に活躍したフォークシンガーの一人でした。高田渡、加川良、岩井宏の三人を三バカトリオなんて呼び方をしている風潮もありました。
そのうち高田渡は『自衛隊に入ろう』でブレイクし、世間から注目を浴び加川良も『教訓』でブレイクしそれぞれの活動に入っていきました。
そんな中、岩井宏さんが進んだ方向性は、ある特定のメッセージ性を含んだ楽曲を歌う方向に進んでいきました。1970年代は一大フォークソングブームとなり、よりメッセージ性が強い物、より自身の代弁者となってくれる曲を欲していたが岩井宏さんの曲は当時の若者を掴むまでは行かなかったようです。
岩井宏さんが選んだ歌のジャンルは、フォークソングでありながら形に囚われない本来の自由な歌でした。結果的に当時のフォークソングとのリスナーとは相反する形となり、ライブで岩井宏さんが歌っても、聴衆の反応はイマイチという状態が続いたようです。
当然歌手であれば、自分の作った歌を沢山の人に聞いて欲しいという思いがあって当たり前ですが、その目論見とは大分違った方向へと進んでしまったようです。1973年7月にアルバム『30歳』をリリースしました。
このアルバムをリリースした後、音楽のメジャーシーンから引退し単なる音楽好きに戻っていきました。そして、昔音楽活動をしていた人たちと一緒にライブ活動を続けるなど枠に囚われない活動をしていました。
2000年に交通事故に巻き込まれ、他界されました。生前の評判は調べましたがアルバム一枚でメジャーシーンを引退し、自分の好きな音楽をやる方向に進んでいったために岩井宏さん個人を語った物はありませんでした。
最後に、岩井宏さんの楽曲『かみしばい』について書いていきます。この曲はアルバム30歳の中に収録されている楽曲です。アルバム全曲自宅録音を敢行したというハンドメイド的なアルバムです。
その中に入っているかみしばいの作詞、作曲は岩井宏さん。紙芝居のおじさんを懐かしむ歌詞となっています。当時の時代が投影されており、岩井宏さんしか見えない景色を上手く歌の世界に投影しているその様な感想を持ちました。
また、楽曲的にもバンジョーがメインの楽器となっているので、フォークソングと言うよりもカントリーに聞こえるのが印象的でした。フォークソングと言うよりも少し音楽性がこの曲に関しては違っていたその様な印象を持ちました。
まとめ
音楽は、時代を彩る鏡と言える部分はありますね。その世代を生きてきた歌手や作家の人たちは、時代を作り出そうと考えて作ってきたのでは恐らくがむしゃらにやった結果人が聴いてくれた。そしてそれがムーブメントに変わってきた後から考えるとこんな音楽が流行っていた。という結果なのかもしれません。それを考えるとフォークソングもその様な感じであり、岩井宏さんもその中で歌を紡ぎ出してきた事が解ります。
また、一枚で身を退いて引退してしまう事も人によっては、逆に格好いいそんな事を感じてしまいました。