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チャゲ&飛鳥のフォーク歌手時代の活動は?代表曲は?評判はどんな感じだった?


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出典:〔amazon〕ひとり咲き [EPレコード 7inch]

今回はチャゲ&飛鳥のフォーク歌手時代について掘り下げて行きます。

プロフィール

  • グループ名 チャゲ&飛鳥
  • 活動開始 1979年
  • 出身地 福岡県

メンバー

  • チャゲ(本名 柴田秀之)
  • 飛鳥涼 (本名 宮崎重明)

フォーク歌手時代の活動は?代表曲は?評判はどんな感じだった?

1978年にヤマハ主催のオーディション、第15回ポプコンの福岡大会にチャゲと飛鳥は別々に出場。チャゲはその大会でグランプリに進んで、その過程で知り合ったディレクター秋吉氏からデュオを組むことを進められました。

その相手が飛鳥涼、その頃は二人組のデュオ編成ではなく7人組のバンド編成となっており、グループ名もチャゲと飛鳥でした。その後ポプコン16回大会の直前チャゲ&飛鳥のグループ名に落ち着いて、後にセカンドシングルとしてリリースされる流恋情歌でつま恋の本選に出場を果たしました。

1979年、後にデビュー曲となるひとり咲きで、ポプコン17回大会で本選に再び出場しましたが、グランプリは取れませんでした。しかしなぜかデビューへと話は進んでいったようです。

1979年8月25日、チャゲ&飛鳥としてデビューシングル『ひとり咲き』でデビューしました。デビューするまでは7人組のバンド編成でしたが、色々とメンバーの中で人生の行く先が別れて二人でデビューする事になったようです。

チャゲ&飛鳥のこの当時の音楽の方向性としては演歌調フォークソングでした。そのためフォークギターをベースにエレキギターやエレキベースが入るという楽曲となり、恋愛歌が基調となっていました。

デビュー曲から、ヒットに恵まれました。この頃の活動は学園祭が主で、サードシングル万里の河が売れたことで世間から注目を浴びることとなり、一躍ヒット歌手となりました。この曲が売れたことでコンサートを開催することが出来て、デビューから3年目で田園コロシアムでコンサートを開催しました。


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しかし、サードシングルの万里の河以降は、ヒットソングに恵まれることはなくひたすらライブ活動を続け、ファンを増やしていきました。また、リリースして大分経ってから世間に浸透するというもどかしい状態が続いており、これは1991年にSAYYESが売れるまで続きました。

チャゲ&飛鳥がフォークギターを基調に活動していた時の代表曲は、万里の河、ひとり咲き、男と女など代表曲は多数あります。特に、万里の河については作詞・作曲をした飛鳥涼がヒットを狙って書いたと公言しています。

確か、万里の河の前のシングル流恋情歌で夜のヒットスタジオ出演が出来ずその悔しさからこの曲を書いたと言われているほどで、その出来事がなければこの曲は生れていなかった可能性があります。

また、この頃の評判としてはライブでのパフォーマンスは良いか、ヒットチャートには昇ってこないため、コアなファンしか増えてこないという状況にあるもどかしい状態が続いていましたが、それを見たファンはまた次のライブに参加するという良い循環になっていたようです。

まとめ

しかしながら、ここまで音楽性をがらりと変えたデュオはいないと思います。普通は1つのジャンルに固執または、ジャンル変更が上手くいかなくて難しい状態になるグループも多い中、良いタイミングで少しずつ変化させてきたと思います。

色々なミュージシャンとの出逢いやロンドンでレコーディングを行ってブリティッシュテイストをチャゲアスに取り入れたことで、上手く時代とマッチング出来たと思いますね。そう言った意味では方向性と時代背景がばっちり当たったと言えます。しかしながら二人での再度の復活は今のところ難しい状況にあります。

名曲を沢山生み出せる力があるにも関わらず、さらなる高みを追い求めた結果ああいった事件を起こしてしまいチャゲ&飛鳥は活動を出来ない状況になってしまったようですね。もう聞けないのかそれとも復活の可能性があるのかは二人の思いが決めることです。

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