あがた森魚の経歴と現在。「赤色 エレジー」の歌詞の意味や誕生秘話は?
2017/08/05
出典:〔amazon〕『女と男のいる舗道』あがた森魚デビュー40周年記念コンサート
あがた森魚というフォークソング歌手は、数々の想い出を私たちに残してくれています。あがた森魚さんの軌跡と、永遠のフォーク・ファイルの収録の名曲、「赤色エレジー」の秘話を紹介します。
プロフィール
- 氏名 あがた森魚(本名 山縣森魚)
- 生年月日 1942年 9月12日
- 出身地 北海道 留萌市
- 血液型 ?
- 所属事務所 ダルジュロ
- カテゴリー フォーク歌手
経歴と現在。赤色 エレジーの歌詞の意味や誕生秘話は?
アメリカのフォークミュージシャン、ボブデュランが歌っていたライカローリングストーンを聞いて強い影響を受けミュージシャンになる事を目標に音楽活動をスタートしました。
ミュージシャンの中でも色々なアーティストの演奏を聴いてこれだという物に出逢う事が出来て一直線にミュージシャンへの走り出し成功を掴んでいきます。
あがた森魚さんもそんな一人でした。そんな衝動に突き動かされたあがた森魚さんは、大学進学を機に上京、後にレコード会社事務所へ出向き歌を披露しました。そこで1970年に開催される『IFC歌謡祭』に出演が決定。
レコードデビューよりもステージデビューが先となりました。その後紆余曲折があってある楽曲を作る事になります。
この経緯が少し変わっていました。1970年代に流行っていたマンガ雑誌『ガロ』にマンガ家林静一が赤色エレジーを掲載します。これが1970年代の出来事です。このマンガに触発されたあがた森魚さんが強い影響えてあがた森魚さんが楽曲を制作しました。
メジャーレコード会社から作品をリリースできたわけではなく、マンガ作品ありきと言うことから、自費出版で歌絵本という形でリリースされました。当時の雑誌ガロの立ち位置はカルチャー発信基地的ものでした。
そのため雑誌から発信されたカルチャーは当時の若者と呼ばれる世代に直に届けることが出来るというバイブルでした。後に蛭子能収さんやみうらじゅんさんもこの雑誌の人気を糧に世間に知られる存在となって行きました。
その後、1971年『第三回フォークジャンボリー』ステージに立ちあがた森魚さんが『赤色エレジー』歌い、その歌唱が認められベルウッドレコードからデビューレコードとしてリリースされました。
なんとこの時バックバンドを務めていたのは、鈴木慶一さん率いるはちみつぱい後にムーンライダーズのメンバーとして世間に知られる存在となる人で、北野武の映画『隆三と七人の子分たち』の映画音楽も担当していました。
また、このベルベットレコード現在は、会社としてもう存在しませんが後に大滝詠一のソロアルバムや当時のフォークシンガーのレコードを次々とリリースしていく革新的レコード会社の第一弾アーティストがあがた森魚さんでした。
レコードがリリースされた当初は作詞作曲、あがた森魚となっていましたが、八州秀章が作ったあざみの歌のメロディーと酷似していると指摘を受けて、それを認め作曲者の変更をしたことも有名な話です。
作詞の内容は当時の男性と女性が一緒に住む、つまり同棲しその中の生活を描いた作品となっています。これは楽曲の古さ等から考えても、メロディーの哀愁や同棲という当時流行りの同棲というカルチャーが上手くシンクロしたのかもしれません。
まとめ
今でも原発や政治に対してデモ行進を行なう人たちがいますが。その当時も戦争に反対するデモや学生運動が若い世代の原動力でした。その後時代が高度経済成長へと動き働くことで楽になるそんな風潮が世の中を包んだのでした。
そんな満ち足りていない世の中の矛盾や不条理を歌にしたのがフォークソングでもありますし、そんな貧しい若者の生活の中でも同棲という新しいカルチャーが注目された時代でもあり、そんなシンクロから生まれた楽曲とも言えます。
CD全集「永遠のフォーク・ファイル」はその時代の空気が詰まっています。想い出に浸りながらコーヒーを飲んでみませんか?