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河島英五の経歴と死因。「酒と涙と男と女」「時代おくれ」に込められた想いは?

2018/12/19


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出典:〔amazon〕ゴールデン☆ベスト 河島英五 ヒット全曲集

河島英五というと、『酒と泪と男と女』が有名で亡くなった今でも、カバーされる名曲を残しました。しかし、亡くなっても人気の高い歌手の一人です。今回は、色々と掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 河島英五
  • 生年月日 1952年4月23日
  • 没日   2001年4月16日
  • 血液型 ?
  • 出身地 大阪府
  • カテゴリー 歌手 俳優
  • 所属レコード会社 ソニーレコード

経歴と死因。「酒と涙と男と女」「時代おくれ」に込められた想いは?

sakaba

1969年に、フォークソングを始めてその後にバンド『ホモサピエンス』を結成し、1973年にグループを解散しました。1975年からソロ活動を開始し、デビューから3曲目その曲が、『酒と泪と男と女』でした。

河島英五さんが19歳の時、叔父の姿を見てこの歌を制作しました。当初は萩原健一さんが歌っていましたが、後に河島英五さんが歌い始め、ヒットしていきました。発売された当時『3年B組金八先生』で挿入歌に使われる、等河島英五の代名詞となったようです。

未だに歌い継がれる名曲です。また、この曲だけではなくもう一曲あります。その曲は『時代おくれ』作詞をヒットメーカー阿久悠が手がけ、作曲は森田公一、河島英五はこの時レコード会社をソニーレコードに移籍したばかりで、新たなリスタートを切ったばかりでした。


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この曲の歌詞について、作詞をした阿久悠氏はバブル景気に目を向けず、あえてその向こうの過去に目を向けしかし、その姿勢は過去ではなくて、その先に来る未来に向けた物だと語っています。セールスは、大ヒットとは行きませんでした、じわりじわりと売れて河島英五と言えばこの曲の名前が挙がるほどの楽曲として育ったことは間違いありません。

しかしながら2001年長女あみるさんの結婚式参列後、肝臓疾患により急逝しました。

もう少し生きていて欲しい、良い歌を残して欲しいと思う歌手に限って早く亡くなってしまうそんなイメージがありますね。病気も命を落とす一員ですが、生き急いでしまうのではないか?そんなことを考えてしまいます。

人より先に、欲しいものを手に入れたからか?人より先に人生で積み経験を積んでしまったからなのか?早く亡くなるそんなイメージがあります。今後もこの様な歌手はあまり出てこない可能性はありますね。

まとめ

河島英五さんは生前阪神大震災の、チャリティーコンサートを行なっていたことは有名で開催途中の7回目で命尽きて、旅立ちました。10回まで、開催される予定でしたがそれは叶いませんでした。

河島英五さんの歌のベースが人の人生や生き様、人の心模様などを歌にして歌ってきたところもあり、阪神大震災のことに心を痛め、なんとか復興して欲しいそんな思いで行なっていたのかもしれません。

今後人間を観察して、その様子をつぶさに歌にしていくようなシンガーソングライターは出てこない可能性がありますね。今の時代はいろいろな物が簡単に行えるようになって色々と悩まなくても良い時代になりましたね。

そのため、歌もライトに背景を描いたような歌は、生まれてくるかもしれませんが、深みのある歌はあまり生れてくる可能性は低くなりました。やはりある程度物がない方がない中から色んな物が生れてくる可能性があります。

そう考えていくと、時代背景がとても良い時代に河島英五さんは歌手として生きていくことが出来て良い歌を残していくことが出来たのだと思います。もし時代が少しでもバブル景気の上げ上げ時代ならこういった歌手は出てこなかったと思います。

何故なら時代は、誰でも儲けられるそんなことを考えてギャンブル人生を生きている時代だったので儲ける方へと頭が動いていたのかもしれません。

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