高田渡の経歴と死因。代表曲「自転車に乗って」「コーヒーブルース」に込められた想いは?
2017/08/16
出典:〔amazon〕イキテル・ソング~オールタイム・ベスト~
高田渡さんというと、伝説のフォークシンガーの一人ですが晩年はアルコール依存症でテレビのインタビューに応える場面があっても少し酔った状態で応えるそんなイメージがあります。今回は高田渡さんを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 高田渡
- 生年月日 1949年1月1日
- 出身地 岐阜県 北方町
- 血液型
- カテゴリー フォーク歌手
経歴と死因。代表曲「自転車に乗って」「コーヒーブルース」に込められた想いは?
昭和24年に、岐阜で生れ4人兄弟の末っ子として育ってきました。父親は詩人で元出版社勤務でした。13歳になり東京の三鷹に引っ越してアメリカのフォークシンガー等を聴いて興味を抱き始めます。
中学を卒業した後、印刷会社へ就職しますが仕事先でバンドをやろうと誘われ、ウクレレを改造して壊してしまいます。その後、17歳の時に念願のフォークギターを購入しました。
父親他界後、佐賀の親戚に預けられた物の単身で再び上京し、新宿でアルバイトをしながら夜間学校に通っていました。
後に、TBSに出演し、『自衛隊に入ろう』を歌って注目を集めました。後にこの曲は自衛隊からオファーがあり、高田渡さんが制作した物ですが、当時の日本における自衛隊の立ち位置と自主規制で放送禁止歌となったようです。
また関西で行なわれたフォークキャンプにも出演し、観客に強烈なインパクトを与えステージを締めくくりました。その後拠点を関西に移して、受験生ブルースでお馴染みの高石ともやさんの事務所へ入りレコードをリリースしました。この時点で年齢は二十歳となっていました。
その後キングレコードのディレクターから声が掛かりレコードデビューのチャンスを掴みました。これを機に東京に拠点を構え、活動を開始しました。また自身の音楽活動状況を変えるためにロサンゼルスでレコーディングを敢行し、バックミュージシャンとして細野晴臣さんを同行させるなど相当拘ったアルバムを制作したようです。
音楽的には自分のスタンダードであるフォークという形に拘らず色々なところを旅しながら、吸収しミュージシャンとして歩んで来たそう感じました。
その後俳優としてフォークシンガーとしてマルチな活動をしていました。しかしながら心不全で56歳の若さで他界しました。原因は元々お酒が好きで無理が祟ったためとされています。
続いては、代表曲『自転車に乗って』と『コーヒーブルース』について書いていきます。
コーヒーブルースについては、高田渡さんがお酒を好きになる前にコーヒーが好きで大のコーヒー党だったという話もあります。
歌詞は、京都にある珈琲屋『イノダコーヒー』を舞台にして好きな子に想いを打ち明けるかどうかの、ピュアな恋愛フォークソングとなっており、聴いていると良い時代に恋愛をしていたんだと感じました。
自転車に乗っては少年時代の行動を歌にしたもので軽快な歌に仕上がっていると感じました。当時のものの無い時代の歌ですが、逆にシンプルなので伝わりやすい歌だと思いますね。
まとめ
昔のミュージシャンの人たちは、レコードデビューするにも大変だったなそう感じました。
何か行動を起こそうとしても情報が足りないのでだまされたりした事があったのではないかと感じました。
また、フォークソングは戦争に対する反戦歌というイメージがあります。しかし実際は売れる売れないは全く関係ない歌い手の中から本当に出てきた言葉が歌になっているそんなイメージですし、自分にはこれしか伝える手段がないそんな事も感じるものです。
現在の音楽でもフォークギターを使った音楽はありますが、単なる音楽のアクセントであり、どうしても歌いたいことがあるからフォークギターを握ったあの頃の想いとは若干違います。
今フォークソングを聴いてみても誰にでも解るような楽曲構成となっているので一度聴いてほしいものです。