青い三角定規の現在。西口久美子・岩久茂・高田真理は何してる?「太陽がくれた季節」の誕生秘話は?
2017/07/31
出典:〔amazon〕エッセンシャル・ベスト青い三角定規
青い三角定規というと、懐メロ番組などでは必ず流れると言っても良いほどの外せないグループの一つです。今回はメンバーとヒット曲『太陽がくれた季節』について書いていきます。
プロフィール
- グループ名 青い三角定規
- 活動期間 1971年~1973年
- 2008年~
- メンバー 西口久美子 高田真理 岩久茂
現在。西口久美子・岩久茂・高田真理は何してる?「太陽がくれた季節」の誕生秘話は?
まずは、ボーカルを担当していた西口久美子さん。1974年からソロ歌手に転向しました。
シングルレコード8枚、アルバム2枚をリリースしています。この他ユニット風車やシャギー等と言ったコラボレーションも積極的に行なってきました。
また、2008年には青い三角定規が再結成となり岩久茂さんと二人で再スタートを切りました。この他西口久美子さんの活動状況は女優やタレントなどの活動も行なっています。現在懐メロ系の番組等に頻繁に出演されています。
岩久茂さんは、青い三角定規を解散した後、スタジオミュージシャンをしていました。その後、平成2年に友人と組んで会社を立ち上げ、カラオケルームや外車販売などをしていました。
しかし会社経営も上手く行かずに、会社を潰して借金を抱えて苦しい生活をしていた時期もありました。しかし、インターネット上にユミユズという口コミ型ショッピングモールを立ち上げて代表取締役社長となっています。
プライベートでは1979年から10年にわたり女優秋吉久美子と結婚しており、現在は離婚し、再婚しますがその女性とも別れてしまい、子供を引き取っているという世間的にはシングルファーザーとなっているようです。また、最近では青い三角定規が再結成したこともあり徐々に音楽活動を始めています。
メンバーの最後は高田真理さん、青い三角定規解散後はフォークグループを組んでいたこともありましたが、ブレイクすることなく解散しました。その後は居酒屋などを経営していた時期もありましたがこれも上手く行かなかったようです。
また、西口久美子歌手活動35周年を機に青い三角定規を再結成しようという話が持ち上がっていましたが、再結成で活動再開する直前に酒気帯び運転で人身事故を起こして青い三角定規の活動は白紙となってしまいました。
本人はその後も警察からの事情聴取を受けていましたが、相当疲労していたようで2006年11月26日埼玉県の狭山市にあるマンションから投身自殺を図り死亡が確認されました。精神的な疲弊と音楽活動が出来ない絶望感から自殺を選んだのではないかと言われています。
また、晩年は芸能活動を殆どしておらず近所の居酒屋に入り浸り、お酒を飲んでいたという証言があります。また居酒屋の人は青い三角定規の高田真理さんである事に気付いていなかったようです。
続いては青い三角定規の最大のヒットシングル『太陽がくれた季節』について書いていきます。1972年2月にリリースされた青い三角定規の最大のヒット曲。また、日本テレビ系ドラマ『飛び出せ青春』の主題歌でもあります。
作詞は山川啓介、作曲はいずみたくという当時で言えばゴールデンコンビによる作品とも言えます。
この曲が誕生したきっかけは、青い三角定規結成秘話にまで話は遡ります。まず、ボーカルを担当していた西口久美子さんが、バレエ団に所属しており本人が「どうしても歌手デビューしたい」と熱望していました。
その頃丁度、いずみたくさんの事務所に冴えない2人組がいて、なんとか売り出せないかと画策していました。そんな時に当時のレコーディングディレクターだった飯塚氏が3人を引き寄せて青い三角定規が結成されました。
グループ名も高校生や中学生が使っていたアイテム定規をグループ名に持ってくることによりインパクトが付いたこと、また、作曲家いずみたくが日本テレビの番組音楽を手がけていた経緯があり主題歌に決まりやすかったこと等様々な良い要因が重なった物です。
またレコードジャケットや衣装のデザイナーまで一流のクリエイターが付いていたため最大のヒットを作り出す事が出来ました。
まとめ
青い三角定規については、『太陽がくれた季節』意外にもリリースされたレコードはありますが、いまいちなセールスを記録しています。今後もメンバー2名で活動を行なっていく物と思います。
思い出に浸るときに聞いてみたい物ですね。