上條恒彦の今現在。息子は?「出発(たびだち)の歌」「だれかが風の中で」の誕生秘話は?
2017/08/04
出典:〔amazon〕上條恒彦 全曲集 NKCD-8040
上条恒彦さんというと、金八先生に出演していたので特定の世代にとっては有名な俳優さんの一人ですが、歌手としての側面もあります。今回は色々な角度から調べていきます。
プロフィール
- 氏名 上条恒彦
- 生年月日 1940年3月7日
- 出身地 長野県 朝日村
- 血液型 O型
- カテゴリー 俳優 歌手
- 所属事務所 ケイブン中村屋
今現在。息子は?「旅立ちの歌」「だれかが風の中で」の誕生秘話は?
上条恒彦さんの現在の年齢は76歳となりましたが、俳優として活動されています。昨年2015年の仕事は、テレビドラマNHKBSプレミアム『一路』、映画『かぐらめ』、舞台『マハゴニー市の興亡』やAKBの楽曲『翼はいらない』のプロモーションビデオにも出演されています。
アクティブに活動されているその様な印象を受けました。今後も仕事の依頼があれば、受けるそんなイメージがあります。また、一部インターネットでは『病気』で検索されているようですが、上記の活動状況を見ると病気はされていないことは推察できますね。
また、30年ほど前から長野県諏訪郡富士見町で田舎暮らしをされているようです。理由は奥さんが「自然の中で子供を育てたい」この一言がきっかけで田舎暮らしを決意されたようです。
上条恒彦さん自身も都会暮らしに飽きていたので、丁度良いタイミングという事だったのかもしれません。家では野菜を作られているようで、奥さんがその野菜を基に料理をされ料理本までリリースされるほど本格的な物となりました。
因みに本のタイトルは、『八ヶ岳山麓 上條さんちのこどもごはん』でこの本を見た宮崎駿監督に、ジブリ美術館のカフェメニューを任されるという、面白いコラボレーションに発展したようです。
奥様と結婚したのは1968年、16歳年下で元女優をされていたようです。名前を悦子さん。最近では都会へ何かと出掛けたがるようです。色々と周囲が落ち着いてきたと言うことなのかもしれませんね。
続いては息子さんについて、書いて行きます。息子さん4人おり1969年に生れた長男、恒さん、1970年に生まれた次男、契さん、四男の俊さん、名前が判明しているのはこの三人だけで四男については詳細な情報はありません。
芸能界で活動されている人は一人もおらず、それぞれ仕事をされているようです。また、ソーシャルメディアの一つFacebookを始められたようで、PCの操作が思うようにならず、息子俊さんに助けを仰いでいるようです。
上条恒彦さんというと、歌手としての顔も持っています。「出発の歌」(たびだち)と「だれかが風の中で」について書いていきます。旅立ちの歌は1971年11月にリリースし、翌年に掛けてヒットした楽曲となりました。
この曲は、元々第二回世界歌謡祭のグランプリ曲ですが、その前に世界歌謡祭出場の歌手を決める「合歓ポピュラー・フェスティバル」が行なわれていました。上条恒彦さんも出場していましたが、そこには六文銭を率いる小室等さんも出場していました。
小室等さんは、六文銭と上条恒彦さんに一曲ずつ曲を提供する予定でしたが、期日までに一曲しか曲が完成せず、苦肉の策として六文銭と上条恒彦さんをコラボレーションさせ上条恒彦さんがリードボーカルを務め、六文銭がバックコーラスを務める形でユニットを作りました。
フェスティバルに参加し、グランプリを獲ると世界歌謡祭へ出場、そこで最優秀賞を取りレコード化にこぎ着けました。結果的に38万枚のヒット曲となり、上条恒彦さんの代表曲と言われるようになりました。
しかし、プライベートでは家族が事故に遭うなど、縁起の良い曲とは思っていなかったようです。続いてはだれかが風の中でについて書いていきます。この曲は木枯らし紋次郎の主題歌で作詞脚本家でもあるは和田夏十、作曲は小室等、先に作詞が出来ており、それを監督していた市川混が小室等に持ち込んだところから話が始まります。
そこで市川崑が木枯らし紋次郎の製作意図や市川が好きな楽曲の話などを聞かされそれを参考に作曲に取りかかりました。その曲を編曲家の寺島尚彦に持ち込み楽曲が完成しました。
ボーカルが上条恒彦さんに決まった理由は、小室等さんの中で出発の歌の時の、上条恒彦さんのイメージが強かったからではないかと言われて居ます。結果的には大ヒットとなりドラマも歌も売れる形となりました。
まとめ
今後も歌手として活動されるかわかりませんが、体が元気な限り活動を続けてほしいものです。