赤い鳥の現在。メンバーは何してる?「翼をください」の誕生秘話は?
2017/07/27
出典:〔amazon〕GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄
赤い鳥というと、現在もメンバーが音楽の世界で活躍していることでも有名です。今回は赤い鳥を掘り下げて行きます。
プロフィール
グループ名 赤い鳥
活動期間 1969年~1974年
メンバー
- 後藤悦治郎(ギター)
- 山本潤子(ボーカル、ギター)
- 平山泰代(ボーカル、ピアノ)
- 山本俊彦(ギター)
- 大川茂(ベース)
- 渡辺俊幸(ドラムス、キーボード)
- 松田幸一(ハーモニカ、パーカッション)
- 大村憲司(ギター)
- 村上“ポンタ”秀一(ドラムス)
現在。メンバーは何してる?「翼をください」の誕生秘話は?
ギターの、後藤悦治郎さんは後に結婚する平山康代さんとデュオを既に結成していました。そこへ赤い鳥への参加話が来て二人で参加しました。1974年にグループ解散しました。その過程で後藤悦治郎さんが、平山康代さんに「人生これから、割り勘でいかへんか?」とプロポーズして1974年に結婚しました。
そして夫婦デュオ紙ふうせんを結成し、活動を開始しました。これが1974年の出来事です。2016年の現在も活動を継続しています。CDシングルは2003年を最後に2004年にベスト盤をリリースしています。
ボーカリストとして参加していた山本潤子さんは、1969年赤い鳥結成時からのメンバーでもあります。1973年にメンバーだった山本俊彦さんと結婚しました。赤い鳥解散後は、山本夫妻と大川茂と共にハイファイセットを結成し活動を開始しました。1994年に解散しました。その後は山本潤子さんがソロへ転向しましたが、2014年から無期限の活動休止となりました。
ドラムスキーボディストで活躍した渡辺俊幸さんは、赤い鳥解散後フォークグループグレープのサポートミュージシャンを務め、短期間ハミングバードというグループにも属していました。
その後さだまさしがグレープを解散してソロデビューすると、音楽プロデューサーアレンジャーとしてサポートする立場に回ります。その後、バークリー音楽大学に留学し様々な作曲技法を習得しました。
帰国後は、引き続きさだまさしのサポートを続ける傍ら、オーケストラとの共演をする等学んだスキルを遺憾なく発揮しました。また、ドラマや映画音楽の作曲家としても知名度があり、テレビアニメは『宇宙兄弟』、テレビドラマは『おひさま』等の作曲をしてきました。
松田幸一さんについては、赤い鳥の活動と並行して1969年から70年の1年間、フォークバンド愚に参加、その後スタジオミュージシャンとして活動中、現在はハーモニカを主としており、フォーク、アニソン、ジャニーズと幅広い音楽に対応し活動しています。
ギターを担当していた大村憲司さんは、赤い鳥を1973年に脱退、その後村上ポンタ秀一さんとエントランスを結成し、解散後、カミーノ、バンブーといくつかのバンドを渡り歩きました。
その後はサポートミュージシャンとして柳ジョージさん等のツアーやレコーディングに参加していました。1998年に肝硬変で死去しました。
ドラムを担当していた村上ポンタ秀一氏は、1972年に赤い鳥のドラムオーディションに合格すると、上京し程なく脱退その後、エントランスやサポートドラマーとして活躍しています。
現在は、ジャズを中心にライブハウスやレコーディングで活動中、幅広いドラムスが叩けるため依頼が後を絶たない状況となっています。
続いては赤い鳥の代表曲、翼をくださいについて書いて行きます。通算四枚目のシングル元々竹田の子守歌のB面(現代風に表現するとカップリング)に収録されていました。作詞の内容は反戦ソングといわれている節もあります。
作詞は、山上路夫氏、作曲は、村井邦彦氏。これと言って作詞作曲者のエピソードはありませんが、楽曲が一人歩きしている状況があります。1991年に歌手の川村かおりさんがカバーして20万枚近いヒットを記録し、教科書に掲載されるなどどの様な意図で作られたかは解りませんが、世間的には雄大な曲と思われています。
まとめ
今後も赤い鳥は伝説のフォークグループとして記憶の中に生き続けると思います。また復活の可能性はとても低いそんなイメージを持ちました。