りりィの死因は?本名と生前の活動は?「私は泣いてます」の誕生秘話は?
2017/08/11
出典:〔amazon〕ゴールデン☆ベスト りりィ[スペシャル・プライス]
女優としても活動していたので、見たことがある人もいるかもしれませんが本来は歌手です。今回はりりィさんを掘り下げます。
プロフィール
- 氏名 りりィ
- 生年月日 1952年2月17日
- 血液型 ?
- 出身地 福岡県 福岡市
- カテゴリー 歌手
- 所属レコード会社 コロムビア
- 所属事務所 アルファーエージェンシー
死因は?本名と生前の活動は?「私は泣いてます」の誕生秘話は?
死因については肺がんで他界したとされており、2016年4月に療養に入ることを報告していました。64歳という年齢でまだまだこれからだという所でした。最近ではがんを罹患する確率は二人に一人つまり50パーセントといわれています。
もはや、国民病ともいわれておりがんを罹患しても部位や発見時期によっては手術により、がんを取り除くことも可能となりましたし、抗がん剤だけでも治療ができるようになっています。
それだけがんという病気は身近な病気といえます。しかしどのような経緯で罹患するのかはわかりません。一説にはストレスを感じることでがん発病リスクが高まるといわれています。
治療に対する向き合い方も、その人に任せる形となっています。色々な治療法を試し完治を目指す人もいれば、苦しい思いをするのならがんを取らずに最後の時を迎えたいという人もいるため、元気でいるときから考えておく必要もあるようです。
さて、りりィさんの話に戻しますと本名は鎌田小恵子といい、りりィという芸名とは程遠く同一人物だと思うことは出来ませんよね。さて、生前はどのような活動をしてきたのかについて書いていきます。
1972年にアルバム『たまねぎ』でデビューしました。当時は若手ミュージシャンだった深町純(ピアニスト)、ドラムスにつのだ☆ひろが参加するなど、今からすると参加ミュージシャンがとても豪華なような気がしますね。
デビューアルバムという事もあり、セールスデータは特に残ってはいません。アルバムリリースから2年後シングルレコード『私は泣いています』が90万枚を超えるヒットソングとなりました。
作詞作曲もりりィさん自身が担当し、最大のヒット曲となりました。スタートは今でいうストリートミュージシャンで、路上で歌っている時にスカウトされ『とりあえず2年だけなら』という事でプロデビューしました。
2年活動して売れなければ、辞めてカナダに移住しようと考えていたようですがその目論見も崩れてしまったようです。また、この『私は泣いています』がリリースされた当時、以前にリリースしていた『にがお絵』がスマッシュヒットして徐々に注目されている存在となっていました。
そんなりりィさんにとっていい流れだったので、一気にブレイクさせたいと思っていたレコード会社はりりィにはっぱをかけて制作させたのがこの『私は泣いています』です。また、この曲がヒットしたことで芸能界をやめることが出来ずに活動を続けてしまったようです。
りりィさんのプライベートに少し触れておくと、一度離婚し2度目の結婚相手である斎藤洋士さんとの間に息子であるJUONさんを設けました。一時は音楽活動を休み専業主婦をしていた時期もあったようです。
息子であるJUONさんも音楽活動をしており、FUZZY CONTROLというバンドをやっており、お嫁さんがドリカムの吉田美和という、ある意味では芸能一家となっていました。また、
女優としても映画『のど自慢』や『エイプリルフールズ』にも出演していました。
ここ最近ではミュージシャンとしてよりも、女優としての活動のほうが多かったようです。
歌手としても女優としてもまだまだこれからというときに他界されてしまいました。
まとめ
やはり、ミュージシャンというのは色々なバックボーンを抱えて生きていてそれを歌に投影することで世界観が形成されていくんだと感じてしまいました。今後も歌や映像作品でりりィさんを見ることが出来そうです。