歌手椿まみの死因と歌手としての評価。「月の世界でランデブー」「シーサイド・ブルームーン」「黙っているほうが」の誕生秘話は?
歌手としてはヒット曲を出すことは出来ず、ブレイク出来ませんでしたが一部のファンやインターネット上では話題となっている椿まみさんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 椿まみ (本名 橋口倫子)
- 生年月日 1945年10月14日
- 出身地 鹿児島県
- カテゴリー 歌手
- 活動期間 1969年~1972年
死因と歌手としての評価。「月の世界でランデブー」「シーサイド・ブルームーン」「黙っているほうが」の誕生秘話は?
椿まみさんの死因は整形失敗を苦にして、1972年1月13日に世田谷区の自宅階段で自殺を図り遺体となって発見されました。さて、整形はそれほど酷い状況だったのかというとそうでもなかったと言う警察関係者の話があります。
因みに整形したかった場所は二重まぶたでした。
この話から考えると、整形は思ったほど完璧な出来では無かったため椿まみさんはショックを受けたものと思います。当時の整形技術が未熟だったために椿まみさんの理想にどれだけ近づけることが出来たか否かは解りません。
美意識の高い芸能人からしたら、こんなはずじゃなかったこんな顔じゃ人前には出られないそう考えた可能性はとても高いのです。また、この時代整形をオープンにすることはタブーでした。
現在のように私の顔はこことここ、整形しています。なんてあっきらかんと告白するような事は出来ない時代ですし、現代は整形と言ってもボトックス注射ぐらいならOKと言う風潮に変わりつつあります。
時代が違っていれば今でも歌うことができていた可能性はあります。時代が招いた自殺と言えます。
歌手としてはヒット曲を出すことは出来ませんでしたが、世間の人々の記憶には残っています。歌手としてはYouTubeで歌声を聞く限り音楽学校卒業と言う事は嘘ではなく歌は上手かったと言えます。
評価としては売れなかったが、世間やネットの世界では名前を検索すれば知ることが出来ますので、マニアックな歌手という扱いの人だと思います。また、発売したレコードもいまだネットオークションや中古レコードのサイトで取引されています。
ここからは、歌手椿まみさんの楽曲、「月の世界でランデブー」「シーサイド・ブルームーン」「黙っているほうが」について書いて行きます。
「月の世界でランデブー」
この作品は5枚目のシングル、ローヤルレコード移籍第一弾シングルとなります。因みにレコード会社史上最大のヒット曲と言われています。アポロ11号が月に行ったことに肖って制作された楽曲です。
タイトルもアイドル曲っぽいのでもっとノリの良い楽曲を想像していたのですが、演歌色の強い、歌謡曲に仕上がっています。因みにオリコン100位以内に入った曲はこれだけだったようです。
「シーサイド・ブルームーン」作詞、藤島信人、作曲、五十嵐茂美のコンビで制作されました。ハワイアンとボサノバをベースにしたミディアムテンポの楽曲で、少し夏を意識しているのかなと思います。
少しお色気ソングの要素も入っており、アダルトポップス路線を狙った物では無いかと思います。こちらはヒットしたという話は無いので、知る人ぞ知る隠れ名曲と言われています。
「黙っているほうが」作詞、安田英二、作曲、柳ヶ瀬太郎
黙っている男の方が好きと言う歌で、そして恋に墜ちていくという歌に仕上がっています。楽曲全体的には少しベンチャーズ的要素が入っている感じがあります。楽曲自体はドラムとともになっているバリトンサックス?がリズムを解りづらくしているなと感じましたが、インパクトは十分にあります。
冒頭に書きましたが、不慮の自殺でこの世を去りました。因みにロイヤルレコード在籍中に起こった事故であり、今や伝説となっている歌手の一人と言えます。
まとめ
今回は椿まみさんを掘り下げてきましたが、芸能活動の悩みと言うよりも整形が自分の思ったとおりの仕上がりにならなかったことが、自殺の最大の原因です。こればかりは本人の口から聞いてみないと解りません。
また、整形に対して過大な期待を抱いていてそこからは大きくズレたと解釈するしか無いと思います。