加藤登紀子の現在。年齢や息子は?「知床旅情」「百万本のバラ」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕加藤登紀子 ベストコレクション CD2枚組 WCD-663
ここ最近もコンサートを開催したりと、忙しい日々を過ごしている加藤登紀子さんを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 加藤登紀子
- 生年月日 1943年12月27日
- 出身地 満州国 ハルピン
- カテゴリー 歌手
現在。年齢や息子は?「知床旅情」「百万本のバラ」の誕生秘話は?
加藤登紀子さんは現在も体調良好のようで、ライブにテレビ出演にと忙しい日々を過ごしています。自分の意見を発信できるラジオ番組を持っており、関東と関西で放送されています。
放送時間は毎週水曜日、ラジオ日本22:30~23:00『加藤登紀子の地球に乾杯!!』で現在の加藤登紀子が何を思っているのか?どんな思想を持っているかなどを垣間見る事が出来ると思います。
関西地区では毎週月曜日の19時から、ラジオ関西で同番組が放送されています。
続いてはコンサートについての情報です。(URL:http://www.tokiko.com/concert-info/)より引用。
11月18日(土) ミュージックタウン音市場(沖縄) 17:30 琉球新報社 098-865-5200 発売中 ほろ酔いコンサート
11月21日(火) 浪漫座(佐賀県) 18:30 浪漫座 0952-24-4883 発売中 ほろ酔いコンサート
12月1日(金) 神奈川県立音楽堂(神奈川県) 18:30 トキコ・プランニング 03-3352-3875 9月26日発売 ほろ酔いコンサート
12月15日(金) 仙台市民会館(宮城県) 18:30 ノースロードミュージック 022-256-1000 発売中 ほろ酔いコンサート
12月17日(日) テルサホール(京都府)) 16:30 アクティブKEI 075-255-6586 9月22日発売 ほろ酔いコンサート
12月22日(金) 中日劇場(愛知県) 16:30 中日劇場 052-263-7171 10月16日発売 ほろ酔いコンサート
12月23日(土) 中日劇場(愛知県) 14:00 中日劇場 052-263-7171 10月16日発売 ほろ酔いコンサート
12月24日(日) 梅田芸術劇場(大阪府) 15:30 梅田芸術劇場 06-6377-3800 発売中 ほろ酔いコンサート
12月27日(水) よみうりホール(東京都) 17:00 トキコ・プランニング 03-3352-3875 9月26日発売 ほろ酔いコンサート
12月28日(木) よみうりホール(東京都) 15:00 トキコ・プランニング 03-3352-3875 9月26日発売 ほろ酔いコンサート
12月29日(金) よみうりホール(東京都) 15:00 トキコ・プランニング 03-3352-3875 9月26日発売 ほろ酔いコンサート
実にパワフルで好奇心も旺盛のようです。ツイッターもやっており、新しいことを始めるのに年齢は関係ないなそんな感じがありますね。コンサートの数も若手アーティストとあまり変りがないことに驚きです。
年齢については現在、73歳となっています。年齢を聞かされなければ解らないほど、年齢不詳であると言えますね。続いては息子についてです。これについては加藤登紀子さんを検索するときに息子というキーワードと一緒に検索されているのでしょう。
加藤登紀子さんの家族構成は夫がいて、既に死別。娘が二人います。息子というキーワードは、加藤登紀子さんの楽曲に息子というのがあるようで、その楽曲が頻繁に検索されているようです。
続いては、『知床旅情』と『百万本のバラ』について書いていきます。知床旅情の作詞・作曲は森繁久弥さん。エピソードが載っている記事を見つけたので紹介します。(以下http://duarbo.air-nifty.com/songs/2014/04/post-ddbe.htmlより引用)
昭和35年(1960)に北海道・知床半島の羅臼(らうす)で、東宝映画『地の涯に生きるもの』の長期ロケが行われました。戸川幸夫の小説『オホーツク老人』の映画化で、主演は森繁久弥。
ロケ期間中のあるとき、森繁久弥は『オホーツクの舟歌』という歌を仲間に歌って聞かせました。それは、知床住民の間で昔から歌われてきた曲を基にした歌で、歌詞の採集やメロディの採譜には、ある若手助監督が重要な役割を果たしたと伝えられます。
歌詞は、知床の冬の厳しさに続いて、春の訪れの喜びと国後への望郷の思いを表現したもの。
ロケの最終日、森繁久弥は集まった羅臼の人びとに、『さらば羅臼よ』という歌を披露しました。それは、『オホーツクの舟歌』のメロディに、今日『知床旅情』として歌われている歌詞をつけたものでした。
昭和37年(1962)の第13回NHK紅白歌合戦で、彼は『知床旅情』を歌いました。それによって、この歌の存在が多くの人びとに知られることとなりましたが、レコードとしてはあまり成功しませんでした。
全国的なヒットとなるきっかけに作ったのは、加藤登紀子でした。彼女は、昭和45年(1970)にリリースした自分のアルバム『日本哀歌集』にこの歌を組み込み、さらにシングル・カットも出したのです。
続いては『百万本のバラ』についてです。元々はラトビアの歌謡曲でその楽曲に加藤登紀子さんが訳詞を付けて歌った物です。ロシアでのこの歌の内容は、国に翻弄されたことを憂う歌ですが、加藤登紀子さんの訳詩の内容は貧しい絵描きが女優に恋をしてその思いを告げるために百万本のバラをあなたにあげるというラブソングに仕上がっています。
この曲は現在も加藤登紀子さん自身が歌い続けており、ミリオンセラーを達成しているようです。また、加藤登紀子さん以外の作詞家の人達が訳詞を手掛けたバージョンも存在します。
まとめ
東京大学卒業という学歴もありますが、真面目な思想を持った歌手の一人です。今後も今のスタンスを崩すことはないと思いますね。