はっぴいえんどの初期の活動と評判。「風をあつめて」「抱きしめたい」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕シングルスはっぴいえんど
今回は、解散してしまった伝説のバンドはっぴいえんどを掘り下げていきます。
プロフィール
- バンド名 はっぴいえんど
- 活動年 1970年から73年
- カテゴリー バンド
メンバー
- 細野 晴臣
- 大瀧 詠一
- 松本隆
- 鈴木茂
初期の活動と評判。「風をあつめて」「抱きしめたい」の誕生秘話は?
1969年大学在学中に、はっぴいえんどの活動はスタートしました。バンドの編成はドラム、ギター、ベース、ボーカルの典型的なフォーピースバンドで完全なるオリジナルを目指してバンドを結成しアメリカの音楽を見て、ウエストコーストサウンドへと行こうと思いましたが、ディープな方向に向かっていました。
そこで、はっぴいえんどの音楽のルーツを探してみましたが見当たりませんでした。しかしそこにあったのは日本語の歌詞。日本語の文学的な独特の詩の世界があるその詩の世界を表現できないかと、ドラムを担当していた松本隆さんとベースやキーボードを担当していた細野晴臣さんは共有していたのです。
日本語のロックをやることははっぴいえんどが独自に生み出した世界観かと思いきや、それはアメリカのロックの影響を受けたもののようです。しかし、細野晴臣さんが日本語ロックでやることを反対していたと、松本隆さんがあるインタビューで語っていました。
確かにもう40年ほど前なので、松本隆さんと細野晴臣さんの記憶が食い違っている可能性はとても高いと感じました。はっぴいえんどの曲の作り方は、歌詞が先所謂詩先ということで歌詞の文字に合せてメロディーを書いていくやり方で主に日本に歌ができはじめた初期には当たり前のやり方でしたが、近年では人によりけりで詩先の人、曲先の人と別れているのが昨今です。
はっぴいえんどが解散した理由は、実験的なことをやり尽くしてモチベーションが下がって続けることが難しくなったからのようです。その後細野晴臣さんはYMOを組んでシンセサイザーの新しい表現の仕方を提言し、その後はソロアーティストとしてまだ活動を続けています。
大滝詠一さんは、はっぴいえんど解散後ソロアーティストに転身アルバムlongvacationやシングル「幸せの結末」吉田美奈子さんに「夢で逢えたら」などを提供しポップスの父といっても過言では無いと言われるほどのミュージシャンでした。
しかしどのような手順でレコーディングを行っているのかなどは、他界した今でも明かされることはありません。残念ながら自宅スタジオで倒れているところを家族に発見されそのまま帰らぬ人となりました。
ドラムを叩いていた松本隆さんは作詞家に転身し、アイドルソングから大人の歌まで幅広いジャンルで歌詞を提供。特に松田聖子さんはたくさんの歌詞提供を受けており、代表作の多くは松本さんの作品といっても過言ではありません。
ギターを担当していた鈴木茂さんは、解散後キャラメルママというバンドに在籍しその後はソロアーティストとしてギターを弾き続けており、2014年には自身のテクニックを伝授する教則ビデオをリリースしました。
続いてははっぴいえんどの評判について触れて行きます。一通りインターネット検索を掛けてみましたが、はっぴいえんどの評判は驚くほど高く、なぜなら今のJ-POPにも使うことが出来るテクニックが満載で聞けば聞くほどはまる人が続出するほどだからです。
既にオリジナルメンバーでの復活は難しいことを考えても、それだけ神格化されてしまっている可能性がありますね。続いてははっぴいえんどの「風をあつめて」「抱きしめたい」について書いていきます。
「風をあつめて」は、小坂忠さんのアルバム「ありがとう」のレコーディングを細野晴臣さんが手伝っているときに、低音の歌い方を発見しそれをヒントにスタジオの廊下で完成させたという楽曲です。
個人的に聞いた感じでは、日本語をわざと平板化して歌い感情を出さずに歌っているのかと思っていましたが、こんなエピソードがあったとは驚きでした。続いては「抱きしめたい」についてです。
はっぴいえんどにとっては二枚目のアルバム「風街ろまん」の1曲目に収録されているものでなぜ1曲目になったのかというと、イントロがあったからだというそんなアバウトな事で一曲目となりましたが、大滝詠一さんが作曲者のため相当凝った作りになっています。
まとめ
いろいろと実験的な事をやった結果の面白いバンドだったんだと云うことが今回で解りました。