城卓矢の死因と歌手としての評価。「骨まで愛して」「スタコイ東京」の誕生秘話は?
城卓矢さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 城卓矢(本名 菊地 正規)
- 生年月日 1935年11月28日
- 出身地 ロシア サハリン州
- カテゴリー 歌手、俳優、作曲家、実業家
死因と歌手としての評価。「骨まで愛して」「スタコイ東京」の誕生秘話は?
亡くなったのは、平成元年5月9日肝硬変と食道静脈瘤破裂にて死去されました。歌手としての評価と評判については、まいりというサイトに城卓矢さんのファンの方の書き込みがありましたので、以下引用します。(https://mairi.me/-/1056355より引用)
今年も城さんの命日がやって来ました。
現在のレコード会社はユニバーサルでしょうか?
城さんには未だCD化されていない魅力的な楽曲が沢山あります。配信でもMEG-CDでも良いので、どうかレコード会社の方にはファンの手元に届くようにして頂きたいと思っています。
オークションや中古レコード店などで少しずつ集めていますが、菊地正夫時代の楽曲など全て揃えるのは本当に難しいです。
名曲を歌いこなした、真の天才でしたね。。。
「骨まで愛して」が大ヒットした頃、歌詞と独特の歌い方が印象にのこっていました。
久々に映像を見ましたが、精悍な顔立ちでかなりの
イケメンだったんですね。
歌手としての評判は、とても良いですね。それだけおもいでを沢山持った人が沢山いらっしゃると言う事なのかも知れません。今後も命日などで作品をリリースしていく事で忘れるどころか、歌手としての評価や新たなファンが増える様な気がします。
歌手としての経歴に触れると、デビューしたときはウエスタン歌手としてスタートしました。その後は、歌謡曲歌手として再デビュー。引退クラブ経営をしていました。そしてその後復帰し歌手活動を継続していました。
ここからは、城卓矢さんの楽曲「骨まで愛して」「スタコイ東京」について書いて行きます。「骨まで愛して」は、城卓矢さん最大のヒット曲と言っても過言ではありません。1966年1月にリリースされました。
この曲で紅白歌合戦にも出場し更に映画化もされました。因みに映画では主演渡哲也、城卓矢さんも本人役で映画に出演していました。作詞は川内康範、作曲は北原じゅん当時は何故か別名義を使用しており後に二人である事が判明しました。
また、城卓矢さんにとっても改名し再デビューした運命の曲と言えます。この曲は、全日空羽田沖墜落事故を見聞きして衝撃を受けた川内康範氏が歌詞を書き上げた意欲作でした。
この後この曲の制作スタッフと同じスタッフで数曲制作した物の、世間には響かず低迷期を迎えてしまったようです。続いては「スタコイ東京」はテイチクレコードに在籍時にリリースしたサードシングルでこの曲はヒットして当時は菊地正夫でリリースされていました。
この曲のヒット後、鳴かず飛ばずの時代が続き一発屋扱いをされていました。一年ほど前に伊集院光とラジオとのコーナー『アレコード』で取り上げられており、再び脚光を浴びた形になります。
『アレコード』のコーナー自体は普段レコードを集めまくっている音楽関係者推薦の少しあれなレコードをかけるコーナー、このあれって言う意味は少し面白いという意味で決して馬鹿にしていると言う意味ではありません。
また、沢山作品がリリースされていますが、どうしてもヒット曲だけが注目されがちでその傍らで埋もれている作品を発掘する面白い試みでもあります。楽曲の印象としては面白いと言うイメージですが、方言が強すぎてあまり聞き取ることが出来ません。
まとめ
今回は城卓矢さんを掘り下げてきました。歌手としてはかなりの波瀾万丈ではありますが、しかしながら、ヒット曲を持っているというのはやはり強いそんなイメージを持ちました。それと亡くなってから大分時間が経過していますが、ファンの方が意外と多いと言うことにも驚きを隠せません。
また、映画俳優や作曲家として活動した経歴があり、スキルも多彩だったのでは無いかと言うことも伺わせます。また、クラブ経営も経験しており実業家としての顔も持ち合わせていますので、何をやってもそれなりに上手く行っていたのではないかと感じてしまいます。