島津ゆたかの死因と歌手としての評価。ヒット曲「ホテル」「花から花へと」の誕生秘話は?
2010年に他界した島津ゆたかさんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 島津ゆたか(本名 大久保進)
- 生年月日 1947年7月14日
- カテゴリー 演歌歌手
- 活動開始 1970年~2001年
死因と歌手としての評価。ヒット曲「ホテル」「花から花へと」の誕生秘話は?
2010年に他界したことだけは確かですが、死因などは明らかになっていません。最後にメディアに出たのはNHKラジオが当時放送していた番組『サンデージョッキー』に2002年にゲスト出演し不規則発言を繰り返し、番組途中で事務所とレコード会社が話し合い退席を決定しそれ以降マスメディアに出てくることもありませんでした。
退席理由については、『今日は体調が悪いため』とされていますが、その日はリハーサルも特段問題なくアルコールなどの匂いもすることはなかったという話もあり、発言の真意やその日放送場所がどんなムードであったかなどは判明していません。
推察するには、その時から病気を抱え色々なことが上手く行っておらずそのストレスが口を突いて出たのではないかと考えられます。今では、生放送の不規則発言は出た時点で放送局が謝罪しますし、収録の場合はカットされます。
最近は抗議も処理が面倒なのでできる限り視聴者に不快感を与えないようには配慮し過ぎるぐらい配慮しており今はそう言った場面を見かける事が少なくなっています。さて、歌手としての評価はどうなっているのかについて書いていきます。
演歌歌手としては単純計算で31年間活動し、簡単に出すことができないヒット曲も出すことが出来てその後、演歌歌手として活動することが出来たためある一定の成功を収めた歌手の一人と言えます。
大抵は、歌手としてデビューを果たしてもヒット曲を出すことが出来ずに、かといって歌手を辞めなければならないほど歌が下手でもないので、歌手として生き続ける事になるのでヒット曲が出ることが希な事なのです。
マスコミは売れている人しか取り上げませんので、芸能で仕事をする人はみんなが成功すると思われていますが、そうではありません。それを考えるとある意味では歌手として成功者です。
続いては島津ゆたかさんの楽曲「ホテル」「花から花へと」について書いて行きます。「ホテル」は、作詞、なかにし礼、作曲、浜圭介。島津ゆたかさんバージョンの発売は1985年、実はその前年立花淳一さんという歌手が同曲を歌い、80万枚のヒットを記録しました。
その後、森本英世さんバージョンも発売されるなど共作という形になっています。しかし、世間に与えたインパクトは島津ゆたかさんバージョンが一番強く、第18回有線大賞を受賞するなど世間から代表曲と認識されても仕方が無いと思うほどです。
この曲がある事でその後歌手としての活動が上手く行ったと言っても過言ではありません。続いては「花から花へと」については1980年5月リリース、どれ位売れたのか等の詳細データはありませんでした。
まとめ
島津ゆたかさんというとホテルという位の代名詞の曲を持って歌手としては成功したと思います。特に演歌や歌謡曲というのはヒット曲に結び付くまでとても時間が掛かります。CMソングなどに使われるのなら世間に浸透するのは早いのですがそうで無い場合知られるまである程度の時間を要します。
地道にキャンペーンやマスメディアに出ないとなりませんので、機動力を使い動いてもそれが確実にヒットに結びつく可能性も高いとは言えないのです。しかし、じんわりとヒットに繋がる可能性が高いです。
死因に関しては、マスコミにて不規則発言を繰り返し姿を消した後、あまり取上げられる事も無くひっそりと他界されたようです。晩年は病気をした事もあり歌手活動はイマイチ上手く行っていなかった状況があるみたいです。
身体が調子悪いとどうしても活動を制限しないとならず苛立ちを抱えていたのかも知れません。