青江三奈の死因と評価。性格は?「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」の誕生秘話は?
2021/12/19
伝説の歌手青江三奈さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 青江三奈 (本名 井原 静子 )
- 生年月日 1941年5月7日
- 出身地 東京都 江東区
- カテゴリー 歌手
- 活動期間 1966年~1999年
死因と評価。性格は?「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」の誕生秘話は?
1998年に、体調に異変を感じて診察を受けると、膵臓ガンと診断されました。しかし、この時点で世間には公表せず、歌手活動を継続。1999年に9時間に及ぶ手術を受け成功する物の、その後抗がん剤の投与が続きました。
2000年に入ると歌手活動復帰を計画したものの、体調不良を起こし入院2000年7月2日に膵がんで他界しました。続いては青江三奈さんの評価について書いていきます。具体的な歌手としての評価を書いているサイトはありませんでした。
しかし、個人的な感触で書いていくと、ブルースの女王というイメージです。それは、楽曲のタイトルにブルースと入る物が多いと言う印象があるからです。本来のブルースというと、黒人が自分の身分を憂いて歌い始めたのが始まりです。
また、12小節をワンコーラスをとした形式を取ることが、スタンダードとされています。しかし、日本のこの当時の○○ブルースは何となくのイメージでタイトルにブルースと入れているだけであまりブルースの匂いがプンプンするような物ではありません。
切ないイメージや憂いとエロティックその情景を歌い熟すことが出来た歌手ともいます。また、青江三奈さんの声質が他の歌手には持っていない独特な声を持っており、当時の時代とマッチングしたと言うように考えて良いと思います。
また、セクシー路線という部分で、時代と上手く絡んだ歌手とも言えます。それだけ時代に与えたインパクトはとても強く、時代を超えた今でも多くの人に愛されていると感じ、この後も歌い継がれていくことになる事を期待します。
ここからは青江三奈さんの性格について書いていきます。具体的に性格について触れた記事はありませんでしたが、キャラナビ人物図鑑というサイトを見つけましたので、引用します。(以下http://zukan.60chara.jp/talent/7469/)より引用。
青江三奈さんの性格は・・・
見た目は謙虚でも心の中は百獣の王。人間よりも自然が好きなロマンチス
外面的にはあまり自分の意志や感情を出さず、相手の言い分をおとなしく聞く謙虚で穏和な印象です。けれども、自分の考えには絶対の自信あり。最初は相手とイープンな立場で接しながら、だんだんと自己主張してリーダーシップを発揮していきます。独断的とも言えますが、何ごとも冷静にこなし、自分にも他人にも厳しいので、人からは信頼されるでしょう。でも本当の姿は、警戒心が強く、人間嫌いで孤独を愛する人。叙情的な感性のもち主で、自然や芸術を好みます。
孤独を愛する人というのは、イメージ通りですね。続いては青江三奈さんの楽曲「伊勢佐木町ブルース」「恍惚のブルース」について書いて行きます。「伊勢佐木町ブルース」後に触れる「恍惚のブルース」は大ヒットしましたがその後ヒットに恵まれない時期が続いていました。
そんな中でリリースされた楽曲でした。作詞は川内康範、作曲鈴木庸一、作詞家の川内氏がハーンという声とも付かない吐息とも言えない物を楽曲のどこかに入れることを青江三奈さんに指示し吐息を入れました。
結果として大ヒットしたものの、紅白歌合戦では吐息の部分はお色気と言う事で歌えずカズーと言う楽器で代用しました。この曲で貰った賞は、『第10回日本レコード大賞 歌唱賞』、「第1回日本有線大賞」スター賞・「第1回全日本有線放送大賞」優秀スター賞を受賞しました。
また、「伊勢佐木町ブルース」を題材とした映画も梅宮辰夫さん主演で製作されました。伊勢佐木町モールの中に青江三奈さんの看板と石碑が建立されており、ボタンを押すと「伊勢佐木町ブルース」が一分間流れます。
続いては「恍惚のブルース」1966年に青江三奈さんがメジャーデビューした時のシングルでいきなり80万枚を超える大ヒットを記録しました。作詞、川内康範 作曲、浜口庫之助のコンビで制作されました。
この歌をリリースするまでは銀座のクラブ銀巴里で歌手をしていました。作詞の川内康範さんの原作小説恍惚の主人公の名前が青江三奈という名前でそれを購入しこの名前でデビューに至りました。
まとめ
ある意味では、歌手として独自の道を歩き世間にインパクトを沢山残した歌手とも言えます。