伊藤久男の死因と歌手としての評価。子供や子孫は?名曲「栄冠は君に輝く」「あざみの歌」「山のけむり」の誕生秘話は?
戦中戦後を通じて複数のヒット曲を残した伊藤久男さんを色々な角度から掘り下げていきます。
プロフィール
- 芸名 伊藤久男(本名 伊藤 四三男 )
- 生年月日 1910年7月7日
- 出身地 福島県本宮市
- カテゴリー 歌手
- 活動期間 1937年~1982年
死因と歌手としての評価。子供や子孫は?名曲「栄冠は君に輝く」「あざみの歌」「山のけむり」の誕生秘話は?
死因については肺水腫で1983年4月25日、病院で他界しました。前年からすでに体調は思わしくなく顔はやつれており歩行困難の状態ではあったため辛い闘病生活をしていたことが想像できます。
歌手としての評価は、戦争を経験しておりそんな中でも日中戦争などを題材にした歌『湖上の尺八』などを歌唱する一方俳優としても活動していました。また、戦後も同様な活動を続け日本歌手協会の設立にも貢献。
紅白歌合戦に11回出場、勲四等旭日小綬章受勲も受賞しており日本の歌手の礎を作ったといっても過言ではない存在といえます。
子供や子孫については結婚3回経験。一人目は通っていた音楽学校の同級生と結婚しています。しかし、嫁姑問題で離婚。2人目の妻は芸者この二人の妻との間に計8人の子供がいました。
3人目は宝塚歌劇団の女優でした。そして二人目の奥さんとの間にできた4人の子供を引き取り育て上げました。このうち長女三礼子さんと、次男悟さんは父親と同じ歌手の道へと進んでいます。
次男悟さんは、郷ひろみさんのバックコーラスを務めていたこともあったようです。その後、晩年に孫にも恵まれて幸せに暮らしていました。また、孫が芸能界で活動したという話は聞かないので芸能界には進まなかったと考えます。
ここからは伊藤久雄さんの楽曲「栄冠は君に輝く」「あざみの歌」「山のけむり」について書いていきます。
「栄冠は君に輝く」作詞、加賀大介、作曲、古関裕而
言わずと知れた夏の甲子園大会の入場行進曲としておなじみ、ドラマエールのエピソードを参考にすると朝日新聞社から古関裕而さんに大会歌の依頼があり、公募の中から選ばれた加賀大介氏の歌詞に曲をつけ完成しました。
現在では夏の甲子園を思い出すときこの曲も同時に発想するほど定着しています。入場行進の時には必ず使用されており、大会歌を変更しようという話も起きないのでおそらく夏の甲子園大会が続く限り使用され続けていくと思います。
因みに伊藤久男さんと古関裕而さんは福島県出身ということで同郷のよしみで戦中戦後とつながりがとても深く、この曲のほかたくさんの楽曲でタッグを組んでいます。因みに古関裕而さんは阪神タイガース球団歌『六甲おろし』、読売巨人軍応援歌『闘魂込めて』の作曲家としても知られています。
「あざみの歌」作詞、横井弘 作曲、八州秀章
当初は1950年作曲家の八州秀章さんが歌唱してNHKの『ラジオ歌謡』にて放送されて人気を博し、1951年伊藤久男さんが歌ってレコード化されました。1933年にデビューしましたがなかなかヒットに恵まれず歌手名を何度か改名したのちコロムビアレコードに移ってからは伊藤久男として活動。
戦中戦後歌手として活動しており、当時のヒット歌手でした。
「山のけむり」作詞、大倉芳郎、作曲、八州秀章
メロディーは美しく歌も朗々と歌う感じがすがすがしいというイメージがあります。この歌はユーチューブのコメント欄を参照していたら長野県の高原の高校生同士の恋愛の歌ということで現代の歌のように直接的な言葉は出てこないので心の機微と情景で感じてくれということらしいのです。
先人たちの恋愛の気持ちの伝え方の方が個人的には好きです。
まとめ
今回は伊藤久男さんを掘り下げてきましたが、プライベートな部分でいえばかなり女性にもてたといえます。そのため結婚3回しており一度目の結婚は嫁姑問題でもめて離婚。その後も2回結婚出来て晩年は孫も出来て幸せな生活をしていたようです。
また歌手としては戦中戦後において活躍、歌手協会を設立することにも尽力し後輩を育てる事にも尽力していました。