江利チエミの死因と歌手としての評価。「酒場にて」「テネシーワルツ」「さのさ」の誕生秘話は?
歌手、女優として活動した江利チエミさんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 江利 チエミ (本名 久保 智恵美 )
- 生年月日 1937年1月11日
- 出身地 東京都港区
- ジャンル 歌手、女優
- 活動期間 1952年~1982年
死因と歌手としての評価。「酒場にて」「テネシーワルツ」「さのさ」の誕生秘話は?
江利チエミさんの死因については、脳卒中。自宅マンションのベッドの上で倒れていたところをマネージャーに発見されました。体調不良で風邪を罹患しウイスキーと牛乳を割って風邪薬を飲んだと言われており、死亡への一因と言われています。
また、部屋の中は暖房がついたままになっており嘔吐して喉にそれが詰まったことも原因ではあるようです。この日、熊本の仕事を終えて帰っており、発見当日の夜も北海道で仕事の予定が入っていました。
この状況から考えても、持病があり戦いながら芸能活動をしていたわけでは無く、数日前から体調不良と言う事以外は死亡すると言うことを想像させるような要因はありませんでした。
風邪薬をアルコールと一緒に飲むのは言語道断で副作用が起きやすくなります。アルコールと風邪薬の配合物質が副作用を誘発した可能性がとても高いと言えます。こういった事故は起こるはずがないと考えて飲む人もいて不幸な事案です。
因みに江利チエミ、美空ひばり、雪村いづみは3人娘と言われており、現在生存し芸能活動を継続しているのは雪村いづみさん一人になりました。亡くなった年齢も45歳と若すぎる死であると言えます。
歌手として歌えるジャンルが幅広く、歌いこなしていました。これにはルーツがあり、12歳から芸能活動をスタートし、米軍キャンプで歌を歌う都合上英語は必須だったため英語の歌は必然的に歌えるようになり、その他のジャンルへと触手を伸ばしていきました。
基本ベースは、ジャズと洋楽でした。紅白歌合戦にも16回出場し自身の意思で出場を辞退したのも彼女が初めてでした。また、シングルは100枚という驚異的なリリース枚数であります。
現在は、CDをリリースすると言うより配信が主流という時代になりましたが。この当時はブレイクすると、毎月リリースされるなどあまりサイクルという物は重要視されておらず
とりあえず稼げるうちに稼いでしまおうという考え方が業界全体を占めていました。
そのため作品が沢山リリースされ、消費されていました。滅茶苦茶な時代と考える事も出来ますが、活気がある時代とも言えます。また女優として活躍もしており映画やドラマにも積極的に出演していました。歌手としては一時代を築いた存在である事は間違いなく冒頭に書いた3人娘の存在により切磋琢磨し芸能活動を続けてきたと表することは出来ます。
また、これから芸能活動がまだまだ出来るという時に非業の死を遂げてしまうというスターならではの終わり方といえます。ここからは、江利チエミさんの楽曲「酒場にて」「テネシーワルツ」「さのさ」について書いて行きます。
「酒場にて」は、ジャンルは演歌で江利チエミさんにとっては久しぶりのヒット曲で紅白歌合戦出場のオファーがありましたが、「歌唱力が上達していない」と言う理由で出場を辞退しました。
愛する人が亡くなり、その部屋に一人で居ることが出来ず酒場で酒を飲んでいる女性の歌です。切ない感じがとても良く歌い込まれています。作詞は山上路夫、作曲は鈴木邦彦のコンビで作られた曲でした。
「テネシーワルツ」は、アメリカでリリースされた楽曲でジャンルはカントリーです。1950年にパティ・ペイジがカバーしたバージョンが日本でヒットし2年後江利チエミさんがカバーしこれがデビュー曲にあたります。
「さのさ」ジャンルは民謡。作詞は、三井良尚、作曲者不明です。民謡の中に入れる合いの手のことをさのさと言ったりするようで、さのぶしの略称とも言われています。民謡という節回しで歌いこなす難しい楽曲を見事に歌いこなしているというイメージです。
まとめ
歌手としては大成功をしています。しかし、異父姉とのトラブルで大借金返済をかぶり返済のため地方営業をせざるを得ないなどまさに身を粉にして働いたという言葉が当てはまる芸能人の一人です。また、高倉健さんとの結婚生活も様々な要因で離婚となり、悲運の人であったと言えます。