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歌手エト邦枝の現在。生年月日と死因は?歌手としての評価は?「カスバの女」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]昭和 の 放浪歌 ベスト& ベスト PBB-74-SS

プロフィール

  • 芸名 エト邦枝 (本名 笠松 エト)
  • 生年月日 1916年 1月1日
  • カテゴリー 歌手
  • 活動期間 1947年~1986年

現在。生年月日と死因は?歌手としての評価は?「カスバの女」の誕生秘話は?

エト邦枝さんは、現在他界しています。生年月日は1916年1月1日生まれ、他界した年齢は71歳でした。当時としてはやはりかなり早すぎる他界と言えます。死因は、大動脈瘤破裂でした。

この病気は一瞬で来てしまうので恐らくあっという間になくなったのでは無いかと思います。どのように歌手になったかを調べてみると大蔵省に入省した後、働く傍らでクラシックを勉強しながら帝国音楽学校に入り、原信子さんに師事しました。

その後、コロムビアレコードでデビューしました。しかし、ヒットに恵まれることはなくレコード会社を転々とする歌手人生を過ごしテイチクレコードに在籍。それが1954年のことでした。

その翌年1955年に「カスバの女」をリリースしました。しかし、リリース当初は爆発的なヒットとはなりませんでした。実はこの曲がヒットしたのは12年後のことで、緑川アコや沢たまきさんなどがカバーして楽曲の良さが見直された状態となりました。

そしてこの曲の原曲を歌っていたのは誰かと言う事になりエト邦枝さんにスポットライトが当たった形となりました。元々は、映画「深夜の女」の主題歌として制作されましたが、諸般の事情で映画は制作されませんでした。しかし、歌だけが一人歩きをしたと言えます。

カスバはアラビア語で、国や都市、域内を表す言葉です。そしてカスバの女と言うタイトルを解釈するとカスバという都市の女性の歌と言う事になります。歌の内容はアルジェリア独立戦争の悲恋を歌った歌と言うことです。


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またヒットした当時はベトナム戦争が起こっておりそんな時代背景と「カスバの女」がバッチリとパズルのピースをはめ込むようにはまったと考えて良いでしょう。そう考えると現在のウクライナ紛争も再び平和を歌った歌にスポットライトが当たりそうです。

戦争を起こし国や土地を手に入れても再び、戦争によって国や土地を取られるという事になりますし、必ず昨日まで普通に暮らしていた民間の人が無意味に殺される事になり終った後人間はそこから何も学ばないのです。

もし学んでいれば、現在のロシアウクライナ紛争は起きていません。元々、ウクライナはロシアと戦争がしたいわけでは無く、一方的にロシアの指導者が作り上げた妄想を現実化しようとしている愚かな行為に過ぎません。一日も早く停戦に落ち着いてほしいものです。少し戦争の話に走りすぎてしまいましたが、話をエト邦枝さんに戻します。

沢たまき、緑川アコさんのリバイバルヒットにより再び注目を浴びたエト邦枝さんは過去のヒット曲を懐かしむような番組に出演し存在感を醸し出しました。しかし、歌手は引退しその後はバスガイドなどに歌を指導するような仕事やカラオケ教室を運営していました。

歌手個人としてはどっしりとした声というイメージです。歌が上手いのに中々売れなかったと言えるのでしょう?そして注目されずに、上手いのに歌手としては上手く行かなかったと言えます。

「カスバの女」を歌ったと言う事で、有名になりました。そして晩年は歌手として歌う場所を貰えました。しかし、カバーがなければ知られる事の無いまま終っていたことだけは確かなのでカバーされて良かったと思います。

まとめ

今回はエト邦枝さんを掘り下げてきましたが、歌手としては音楽学校に通って努力を積み重ねたにもかかわらず、売れるまで大分時間が掛かったと言えます。また、他の歌手にカバーされることで非の目を見ることが出来良かったと考えられます。

今後戦争が起きる度に、この曲や他の反戦歌を思い出すことになると思います。本来であれば戦争なんて起きない方が絶対に良いですね。

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