西岡恭蔵のプロフィール。妻や子供、現在の活動は?「プカプカ」の誕生秘話は?
2017/08/09
出典:〔amazon〕ゴールデン☆ベスト
関西フォークソング界の一人である西岡恭蔵さんに今回はスポットを当てて色んな角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 西岡恭蔵
- 生年月日 1948年5月7日
- 血液型?
- 出身地 三重県
- カテゴリー フォークシンガー
プロフィール。妻や子供、現在の活動は?「プカプカ」の誕生秘話は?
1948年三重県に生れました。近畿大学に入学し卒業大学時代にフォーク喫茶デュランというお店で雇われマスターとなりました。また、大学時代に知り合った大塚まさじ、永井洋と知り合いフォークグループディランを結成しました。
しかし、西岡恭蔵さんは1971年にグループを脱退し、ソロアーティストに転向し1972年に『デュランにて』でソロデビューを果たしました。その後は様々なミュージシャンと親交を深めながら音楽活動を継続していきました。
関わったミュージシャンの事例を出すと、バンドはっぴいえんどに参加していた細野晴臣さんやアレンジャーとして活躍している佐藤博さん、等と活発に交流を深めソロミュージシャンとしての活動も充実を極めていました。
一度ソロからグループ活動に傾倒し、活動を行った物の再びソロに戻り1997年にソロアルバムFarewell Songをリリースしました。その後妻であるKUROさんの3回忌目前に首つり自殺で他界しました。
また、ソロシンガーやコンピレーションアルバムへの参加だけでは無く、作詞家、作曲家としても有名で、特に矢沢永吉さんの楽曲の作詞は多く、『黒く塗りつぶせ』は有名かも知れません。
この他、内田有紀、山下久美子、沢田研二などへの提供作品があり作歌として認知しているという人も多いと想います。
続いては妻について触れて行きます。西岡恭蔵さんの奥さんはKUROと言うペンネームで作詞家として活動していました。
作詞家としてのデビュー作は大塚まさじさんのアフリカの月、これを作詞したのを皮切りに西岡恭蔵さんのソロアルバムでは全曲作詞を手がけるなど、夫を助けるような形で音楽活動を支えました。
しかしながら、病気のため1997年に死去しました。二人の間に西岡直太さんという男の子が一人います。西岡恭蔵さんが亡くなった際にオフィシャルホームページでコメントを発表しており、息子さんの存在が明らかになった物です。
続いてはソロデビュー曲『プカプカ』について書いていきます。プカプカは、ジャズシンガーの安田南さんに捧げられた曲と言われ、どの様な経緯で製作された物かは不明です。ここからは個人的な推察となりますが、恐らく西岡恭蔵が安田南さんのステージを見て刺激を受けたのかも知れませんね。
また、プカプカは泉谷しげる、桑田佳祐、福山雅治、奥田民生さん等がカバーしましたので聞いたことがある人もいるかもしれませんね。
まとめ
西岡恭蔵さんは既に他界しており、色々な詳細情報を調べてみても出てこないことばかりです。しかしながら作詞、作曲家としても1970年代から1980年代にかけて活躍しJPOPの石杖を作った人と行っても過言ではありません。
また、最後が自殺というショッキングな物となってしまいました。いい知れない悲しみを抱えていたのかもしれません。寂しさを紛らわすために音楽活動をすれば良いのでしょうと素人考えを押しつけてしまいがちです。
しかし、そう言った状況では音楽も生まれてくることは無くただただ寂しい時間を過ごしていたのかも知れませんね。いずれにしてもパートナーの死により、何かの支えが無くなり
どの方向へ進んで行って良いのか解らなくなってしまったのかも知れません。
そのため自殺という形で音楽活動を終えることを選択したのかも知れませんね。ミュージシャンの場合どうしても、生活が上手く回っていないと言葉にならない思いが蓄積されそれに押しつぶされてしまうのかも知れません。
今後は色々なミュージシャンが西岡恭蔵さんの、歌を見つけて歌い継いでゆく必要がありますね。そうすることで存在を歌った人が思い出し、聴いた人が思い出すという偲ぶ行為で想い出の中を生きて行く感じで音楽は行き続けるでしょう。