浅川マキの死因。性格や評判はどうだった?「赤い橋」の誕生秘話は?
2020/12/31
出典:〔amazon〕浅川マキの世界
浅川マキさんというと、新宿にあるピットインというライブハウスでほぼマンスリーでライブを開催していたので、名前を記憶している程度でその他の詳細はわかりませんでした。今回は浅川マキさんを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 浅川マキ
- 生年月日 1942年1月27年
- 血液型 ?
- 出身地 石川県 白山市
- 所属レコード会社 EMIミュージックジャパン
死因。性格や評判はどうだった?「赤い橋」の誕生秘話は?
浅川マキさんの死因については、急性心不全と言うことでした。亡くなった場所は名古屋のホテルで、なぜ名古屋を訪れていたかというと、ライブのためでした。遺体となって発見された日も夜からライブを控えていて、時間になっても本人が会場に訪れないので不審に思いホテルを訪問し倒れているところを発見しそのまま死亡が確認されました。
前日も名古屋でライブを行い、上手くいったようで上機嫌でホテルへと帰っていったようなので、突然急性心不全を起こし亡くなった物だと思います。また、薬を服用していたが持病があったとは聞いていないし、何処かにぶつけたような跡もあったと言われています。
浅川マキさんの性格は、本当はとても明るい人だったのではないかそう言われています。歌っている歌はとてもアンダーグランドで、その歌を聴いた人を自分の世界に引き込むことは得意で、一度ファンになると中毒性があると言われています。
また、ステージ上で見せる姿は歌手浅川マキとしての姿であり、普段の浅川マキは明るい性格の持ち主で、ステージ上ではじけるときもあったようです。また評判はすこぶる良い様でした。
もう亡くなってしまいましたが、演出家の寺山修司さんも浅川マキさんのファンで歌を聴いた瞬間に体に電流が流れてその世界に引き込まれたようです。また、アンダーグランドの歌手なのかと思えば、メジャーレーベルとの契約もあり新作をリリースするルートはしっかりと作られていました。
ミュージシャン仲間は惜しい歌手を亡くしたと口を揃えて語るだろうと思いました。病気を抱えながら歌手活動を行ってきたわけではなく、突然亡くなって行ったわけだからそれだけに良い想い出しか残らないのではないかと感じてしまいました。
それでは、インターネット上の評判を集めて観ました。
グラス鬼ON @pop_hawaii
そう言えば、ケヴィン・エアーズと浅川マキと山口冨士夫はギリギリ一度だけ晩年のライブを観れた。
ケヴィンとフジオちゃんは確かその2年以内に死去、マキさんに至ってはその4か月後に急死。
正直ライブの出来自体は散々なものだったが、観れて良かったと思う。
三木野吉関連資料室
浅川マキさんは、ライブの時も
“素敵なミュージシャンと出会っていくうちに、あらゆる音楽のジャンルに属せなくなってしまった。。”
と、よく仰っていた。
ファンの人もライブを見た後、やっぱり良い物を見たという感想を抱いているように思えます。立ち位置がアンダーグランドだっただけに中々入り口は広くない歌手の一人だったのでは無いかと思います。
続いては浅川マキさんの楽曲「赤い橋」について書いていきます。この曲の作詞は北山修さん。北山修さんというと、フォーククルセダーズのメンバーでもあり精神科の医師でもあります。
この街のモデルは何処なのかなど語られた記述はありませんが、青森県の潮来で有名な恐山にこの様な情景があると言う話なので、その情景からインスパイアされてこの世界を書き下ろしたのかもしれません。
今となって北山修さんは、自分の描いた作詞について言及することはありませんがこれが事実だとしたなら、おどろおどろしい世界の歌その様なイメージを抱いてしまいました。
まとめ
今後もこの様な歌手は出てこないと思われますので、興味を持った人は浅川マキさんの楽曲を聴いてみるのは如何でしょうか?