新谷のり子の現在。活動している?「フランシーヌの場合」の誕生秘話は?
2017/08/07
出典:〔amazon〕フランシーヌの場合[EPレコード 7inch]
今回は、新谷のり子さんを様々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 新谷のり子(本名 新谷則子)
- 生年月日 1946年10月3日
- 出身地 北海道 北斗市
- カテゴリー フォークシンガー
- 所属事務所 新谷のり子事務所
現在。活動している?「フランシーヌの場合」の誕生秘話は?
現在活動しているかどうかを調べようとして、ホームページを閲覧しようとしたのですが、ニフティーさんのサーバーを借りて、ホームページを運営しておりサービスが終了したため閲覧することが出来ませんでした。
そのため、現在活動しているかどうかは不明です。その他今の活動のヒントとなる物を探してみましたが、2009年にテレビ東京のベストヒット歌謡祭に出演したのを最後に表舞台には出演していません。
続いては新谷のり子さんの楽曲『フランシーヌの場合』について書いていきます。これはある事件をきっかけに作られた反戦歌であると言う事です。その事件とは(URL: http://banyuu.txt-nifty.com/21st/2004/11/post_14.html引用)
1969年の、たぶん朝日新聞の記事を、僕が切り抜いてとっておいたもので、おそらく僕の手元にある最古(?)の切り抜きだ。
それは3月30日朝のパリで、フランシーヌ・ルコントという30歳の女性が、焼身自殺をした、というベタ記事である。
この女性は、ベトナム戦争やナイジェリア内戦に心をいため、自殺した時は、ビアフラの飢餓についての切り抜きを持っていたという。
スポンサーリンク フランシーヌ・ルコントという遠い国の、見知らぬ女性の死に、心を動かされた日本人がいた。作曲家の郷伍郎氏と、作詞家のいまいずみあきら氏だ。
二人はこの事件から受けた感動を、たちまち一つのフォークソングに書き上げた。
この曲は、60万枚のヒットソングとなり、当時は話題も浚いました。そして時代背景もあり多数の番組に出演しました。しかし、これがきっかけで反戦歌歌手というイメージが付いてしまいました。
また自身も、闘争に参加するなど学生運動に傾倒していました。それでも芸能活動を継続しており、その後にリリースした『さよなら総括』と言う楽曲は、活動家の恋人を持ってしまった事に悩み自殺した女学生の中核派大学生遺稿集から楽曲が作られました。
しかし、学生運動の内ゲバ用語の「総括」という言葉を使っている事から、嫌悪感を抱かれてデビューシングルほどの売上げを記録することは出来ず、次第に芸能人としても活動の場所を失っていったようです。
やはりレッテルを貼られると、色々と活動に制限を設けられるようです。これはいつの時代も同じですね。事件を起こしてしまったり、特定の宗教に入信している事が世間にバレるとそれをきっかけに徐々に居なくなることはあるみたいです。
その後は、一度は政治色を排したスタイルに替えたそうですが、再度反戦をテーマにしたスタイルに戻したそうです。やはり自分の思想までは曲げられないということでしょうかね。
なかなかメディアには出てきませんが、亡くなったという報道もないですし、メディアにのらないところで活動をされているのかもしれませんね。そもそも活動していないという可能性もあると思いますので、ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいなと思います。
まとめ
新谷のり子さん自身は、反戦歌歌手というイメージが付いてその後芸能活動に少なからず影を落とされ表舞台にいることは出来なくなってしまいましたが、それがゆえに自分のスタイルを再度見つめなおしたという点では強い女性だなという印象を持ちました。
せっかくの名曲をお持ちですので、また機会があればかつ本人が望めばメディアやライブなどでお目にかかりたいなと思います。