坂庭省悟の活動経歴。死因と生前の評判は?「初恋」「花嫁」の誕生秘話は?
今回は伝説のフォークシンガー、坂庭省悟を色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 坂庭省悟
- 生年月日 1950年1月20日
- 出身地 京都府
- カテゴリー フォークシンガー
活動経歴。死因と生前の評判は?「初恋」「花嫁」の誕生秘話は?
幼少期から歌の上手い祖母の背中で歌を覚え育つ、物心がついてからはハーモニカを持ち歩くほど音楽に対する敷居は低い環境で育っています。高校時代に当時は若者なら誰もが来ていたというブランドVANJacketが主宰するフォークイベントを見て、アメリカンフォークに魅了され、音楽への思いを強くしました。
その後、ブラスバンド部で活躍、相当厳しい指導者に巡り会い音楽の基礎的部分であるメロディーやハーモニーなどを徹底的に仕込まれ、サックスを吹いていましたがベンチャーズを聞いて以来ドラムに対する興味が強くなったといいます。
密かにドラム練習をこの頃行っていましたが、今後の音楽の方向性を決定づける出逢いがありました。ブラスバンド部の先輩からアメリカンフォークのバンド『ソリタリーシンガーズ』に誘われてギターを初めて手にしました。
その後、京都産業大学に入学城田じゅんと出逢い、『マヨネーズ』に参加し、東芝EMIから『男の子だから』でデビューしました。その後『はしだのりひこ&クライマックス』、『髙石ともやとナターシャセブン』に参加10年間活動しました。
『笠木透とフォークス』にも参加し、作曲家として88曲を残しグループ活動としては最後に『SAM』を結成し、フォークの世界で知られる存在となって行きました。また、イベントの発起人としても活躍しており、1999年から地元の京都で『8時間耐久ライブ』を開催しました。
このイベントは2003年まで続き、中川イサトと共に関西フォークの当時の息吹を表現する活動に尽力していきました。ここまでは簡単に活動経歴を書いてきましたが、続いては坂庭省悟の死因について書いていきます。
亡くなったのは2003年12月15日、癌により亡くなられました。当時の年齢は53歳と言う事から考えても若すぎる死という捉え方があります。若かりし頃から無理を重ねた可能性がありますね。
続いては生前の評判について掘り下げて行きます。(以下ツイッターから引用)
(Yoshi:わかさま) @CI_Yoshi 5月7日
その他
亡くなったと聞いてから頭の中でずっと流れている曲。
「ゴールなどシャボン玉」「港」
(すべて坂庭省悟さん)
ありがとう。さよなら。
明日、お別れに行ってきます。
(しおたにふうげつ) @sfugetsu 1月26日
その他
だめだ
坂庭省悟さんの「初恋」をyoutubeで聴いて
号泣してしまう
このひとが亡くなった損失はとてつもない
高石ともやとザ・ナターシャ・セブン
そしてその中に無くてはならない坂庭省悟さん
スポンサーリンク 僕の青春だった
「初恋」坂庭省悟
インターネット上で生前の評判を拾って見ましたが、やはり色々な人に沢山の思い出を残してくれているようです。今後も楽曲を聴く度に思い出すと思いますね。続いては坂庭省悟さんの楽曲『初恋』と『花嫁』について書いていきます。
『初恋』は元々外国曲でアイルランドのサリーガーデンという曲に詩を付けて歌った物です。ナターシャセブンのアルバムに収録されています。今もユーチューブで坂庭省悟さんが歌っている動画を見ることが出来ます。
続いては『花嫁』については、1971年にはしだのりひことシューベルツの代表曲です。作詞はきたやまおさむ、作曲は坂庭省悟さんでソロになってからも坂庭さんが歌っている曲です。
当時はしだのりひことシューベルツを聞いていた人なら誰もが知っている名曲の1つです。
まとめ
今回は関西フォークも触れつつ、坂庭省悟さんを取上げました。音楽的才能は幼少期祖母の背中で歌を聞いていたときから、育っており学生になってその音楽の才能を思い切り伸ばしプロデビューしていったという。
才能の塊であるというのが第一印象ですね。今後も色々なところで聞かれてその度にその人達の思い出が蘇るでしょう。
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