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荒井由実の若い頃。デビューの経緯は?初期の「卒業写真」「やさしさに包まれたなら」の誕生秘話は?

2017/12/14


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出典:〔amazon〕Yumi Arai 1972-1976

今回は、荒井由実時代の松任谷由実さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 荒井由実 (本名 松任谷由実)
  • 生年月日 1954年1月19日
  • 出身地 東京都 八王子市
  • 所属事務所 雲母社
  • カテゴリー シンガーソングライター

若い頃。デビューの経緯は?初期の「卒業写真」「やさしさに包まれたなら」の誕生秘話は?

荒井由実さんが音楽に触れたのは、小学生の頃実家が呉服店ということもあり、三味線を振り出しに14歳の時にベースに触れて音楽への造詣を深くしていきます。またそれと同時に青山にあるレストランキャンティーに出入りしており、そこでムッシュかまやつや色々なアーティストに出逢い、音楽業界入りのきっかけを作りました。

また、「ザ・フィンガーズ」というバンドの追っかけであったことも知られており、音楽業界にデビューしたのは自分が歌うのではなくて、人に曲を書くコンポーザーとしてデビューしました。曲を書いたのはタイガースに在籍していた加橋かつみさんの楽曲『愛は突然に・・・』を提供し、存在感を示しました。この曲を作曲したのは14歳の時という事ですから、才能は早熟だったと言えますね。この曲を作曲したのは14歳の時という事ですから、才能は早熟だったと言えますね。

その後、アルファレコードを設立した村井邦彦さんが後押しをして荒井由実としてデビューする事になり、1972年7月5日『返事はいらない』をリリースしました。この時のプロデューサーは先ほども名前が出てきたムッシュかまやつさんでした。しかしこの曲はあまりにも売れずスタートは散々な結果となりました。

それではここから荒井由実さんの初期の楽曲、「卒業写真」「やさしさに包まれたなら」について触れて行きます。「卒業写真」については、元々ハイファイセットのデビューシングルとして制作されました。


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さて、この曲は誰に当てて書いているのかそれが気になって調べたところ、高校時代に出会った美術教師がモデルとなっているようです。当時荒井由実さんは当時美術大学への進学を目指しており、画を描いていく過程でその美術教師の言葉を胸に画を描き続けていましたが、美術大学には不合格となってしまい、そのまま同時期に合格していた多摩美術大学へと進学し、音楽へとのめり込んでいきました。

また、先生と美術大学再受験を約束したにもかかわらず、別の美術大学へと進学し音楽へとのめり込んだ自分が恥ずかしく思えた時期もあったようです。そんな苦い思い出が籠もった楽曲となったようですね。

しかし世間では卒業ソングの代名詞であり、男女の恋愛を描いているそんな感じがありますが、全然違う着眼点で描かれ、卒業写真という歌に置き換えたという事になりますね。

続いては「やさしさに包まれたなら」について書いていきます。この曲は荒井由実さんにとって3曲目のシングル曲です。発売当時もCMソングとして起用されており、耳馴染みの人も多いかもしれませんが、宮崎駿のアニメ魔女の宅急便のテーマソングとして使われたので一気に知名度の上げたシングルと言えるのかもしれませんね。

CMとレコードとされたもののなかで歌詞が異なっているということがエピソードであるぐらいであり、リバイバルヒットした楽曲の代名詞と言われると思いますね。またそれにより色々なアーティストにカバーされています。

まとめ

荒井由実さんもデビューからあまり売れることはなく、かなりの苦労を重ねた上で今のユーミンがあるといっても過言ではありません。また、売れなかったことが逆に色々と気付くことが出来てプラスに働いていると思います。

また、音楽性を時代によって変えてきていることによって、上手く時代にハマってきたことが成功した要因なのかもしれません。またユーミンの中には14歳のもう一人の自分がいて
その人が曲を書かせていると語っていた時期もあるみたいですから、感性が腐らないのは
14歳のもう一人の自分を上手く、飼い慣らしている事なのかもしれませんね。

〔amazon〕荒井由実のCDはこちら。

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