ザ・サベージの現在。メンバーの活動は?「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」の誕生秘話は?
出典:〔amazon〕ザ・サベージ
今回は、GSのザ・サベージを掘り下げて行きます。
プロフィール
- グループ名 ザ・サベージ
- 活動期間 1963年から1968年
- カテゴリー グループサウンズ
現在。メンバーの活動は?
現在は解散して、再結成したと言う話も聞きません。メンバーの活動について触れて行きます。
奥島吉雄 1945年9月26日生まれ サイドギター、ボーカル
解散後は、別グループサウンドボックスを結成しましたが1曲しかリリースできずその後ヤマハのプロデューサーとして音楽業界に留まっています。
林鷹吉 1946年生まれ リードギター
ザ・サベージを途中でだった後に紹介する寺尾聰とザ・ホワイトキックスに参加しましたが、一曲だけのリリースで自然消滅しました。その後の活動状況は不明です。
寺尾聰 1947年5月18日 神奈川県保土ケ谷市出身 ベースボーカル(途中脱退)
ザ・サベージは途中で脱退、俳優宇野重吉の息子であり二世俳優の一人でもあります。
ザ・サベージの活動の後はホワイトキックスに関わり、同時並行的に俳優活動も行っており、石原プロモーションに所属したいた時期もあります。
ソロ歌手としてルビーの指輪の作詞を手掛け自身でも歌う、シンガーソングライターの一面もあります。しかしここ数年はアーティスト活動の方は小休止状態、2017年は陸王で、シルクレイの特許を持つ飯村役を演じて癖のある偏屈な人間性を巧みに演じて渋さを醸し出しており、一流俳優と言っても過言ではない一人です。
渡辺純一 1948年2月17日 ドラムス
ザ・サベージ解散後は活動状況不明、芸能界引退の可能性もあります。
渡辺昌宏 1945年1月30日 サイドギター
ザ・サベージには途中から参加、解散後は音楽勉強のため渡米帰国後は進駐軍でバンドマンとして活躍した後、錦糸町でライブハウス38のプロデュースをしており音楽業界に留まっています。
原一夫 1945年11月15日 ベース 途中参加
ザ・サベージには途中から参加、解散後はザ・バージを結成しましたが自然消滅して終了しました。
メンバーを掘り下げてきましたが、音楽業界に残っているのは2人、芸能界で活動しているのは一人という状況です。そのときは同じ境遇でもそれぞれ違う道にいくとまったく違う人生を歩いているというのは一般の私たちと同じですね。
続いてはザ・サベージの楽曲「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」について触れて行きます。
「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」の誕生秘話は?
『いつまでもいつまでも』は、1966年7月にリリースされこの曲でデビューを飾りました。作詞作曲は佐々木勉さん、ブロードサイドフォーの楽曲星に祈りを作詞、作曲の他この曲も作詞作曲しました。
自分が歌うほか他人にも楽曲を提供するという、マルチな才能を発揮しました。
この曲のボーカルを取ったのは寺尾聰さんで大ヒットを飾りました。続いては『この手のひらに愛を』についてです。
この曲はザ・サベージにとってセカンドシングルであり、グループの中では絶頂期この曲の作詞作曲は、利根常昭さんボーカルも寺尾さんと奥島さんの二人で歌い、1番が寺尾、2番が奥島というパターンを取りました。
因みにB面の星のささやきは作詞作曲佐々木勉さんでした。フォークを基調にしたバラードソングで、こちらも人気を集めました。
まとめ
今回は、ザ・サベージを取上げましたが、活動期間が意外な程短いことに驚かされてしまいました。しかしながら芸能界に生き残ったのは寺尾聰さん一人で、その他は音楽業界で未だに活躍を続けています。
最近寺尾さんは、俳優色が強いので元ミュージシャンと言うことが意外な驚きでした。
しかし、ルビーの指輪がヒットしたのでボーカリストしての才能もある事ははっきりしています。
グループ活動は5年間で、今のバンドの活動期間で考えればかなり短いそんなイメージを持ちました。しかし、グループサウンズは大人達が作ったムーブメントなので収束も早かったのかも知れません。