梶光夫の現在。息子がいる?今はジュエリー関係の仕事の噂は?「青春の城下町」の誕生秘話は?
歌手の梶光夫さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 梶光夫 (本名 梶 芳道)
- 生年月日 1944年9月9日
- 出身地 大阪府 大阪市
- カテゴリー 宝飾業 元歌手
- 活動期間 1964年~1971年
現在。息子がいる?今はジュエリー関係の仕事の噂は?「青春の城下町」の誕生秘話は?
梶光夫さんの現在は、芸能界を引退し一般人となっています。しかしながら、近年は本業に影響がない程度にテレビ出演しており歌唱しています。今後も依頼があってスケジュール的にOKなら出演の可能性はあります。
息子については、二人いてその他に女の子が一人いるという構成になっています。子供に関しては芸能活動をしているという情報は無いので一般人として生活を営まれていると推察されます。
両親が芸能人という場合、子供も親と同じ職業を目指すという人もいます。しかし、梶光夫さんのご子息の場合は、芸能業界には進まなかったと考える事が出来ます。今後も表舞台に出てくることは無いかと思います。
梶光夫さんには、ジュエリー関係の仕事をしていると言う噂があります。この噂について調査しましたが、事実です。と言うのも芸能界デビューする際に、父親から家業を継ぐように懇願されて5年間芸能活動すると言う約束でデビューした経緯があります。
ブレイクしてしまったため多少前後してしまった物の、約束通り芸能界引退を選択し家業を継いでいます。また、単に父親との約束を守って引退を選択したわけではなく、『インターナショナルパールデザインコンテスト』に応募し銀賞とグランプリを受賞した事も芸能界引退の布石となっています。
この受賞により、自分は宝飾業界でも充分にやっていけるという自信を深めて行ったのかもしれません。1972年にアメリカに留学し宝石デザインを学び、『グラジュエイトジェモロジスト』という称号も獲得しています。
帰国後は、株式会社カジ・インターナショナル 代表取締役社長、日光株式会社 代表取締役社長、MITSUO KAJIジュエリーアート主宰という肩書きを所持しています。芸能界で仕事をしているよりも成功しているように見えます。
ここからは、梶光夫さんの楽曲「青春の城下町」について書いて行きます。この作品はサードシングル、芸能界でブレイクのきっかけを掴んだ作品とも言えます。遠藤実氏に師事していました。
発売は、1964年6月に作品をリリースしました。ブレイクしたという話になっていますが、どの程度のセールスを記録したのかなどのデータはありませんでした。作詞、西沢爽、作曲、遠藤実のコンビで制作されました。
その後も映画俳優として活躍しており色々なメディアに出演し、一時的に世間にインパクトを与えることが出来たと思います。
まとめ
芸能人から一般人に戻るというのは、結構勇気が要ることだと思います。全く違う畑に出向いて行くので、芸能界以外の仕事はどうしても向かないという人も少なくありません。そして芸能界を辞めた後人生が上手く運ばないという人もいますしそうでない人もいます。
芸能人から転身した場合どうして上手く行かないのか?というと、金銭感覚が狂ってしまっているため、地道に一ヶ月働いて激安の給与しか貰えないと言うことに耐えられないので色々な職業に手を出すという事になり上手く行かないということが殆どです。
もう一つは芸能人になると、沢山のスタッフが存在して身の回りの世話をやってくれるのでどんどん世間からズレます。そのため自分でお金を下ろすことも出来ない、移動するために切符も買えない等という状態が普通になります。
こういった状態になれてしまうと、中々一般の生活には戻ることが難しくなります。そのため戻ることが出来ません。それを考えると梶光夫さんは上手くシフトすることが出来ていて次の場所でも成功することが出来たと考えます。
芸能人をやって居る頃から、一般の感覚というのを忘れることなく生きる事が出来たから転身することが出来て、計画的に進むことが出来たのだろうと思います。