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池真理子の死因と歌手としての評価。出身地は?「ボタンとリボン」「愛のスイング」「丘の小さな青い屋根」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]音故知新 昭和の名歌手 池真理子

大正生まれで宝塚歌劇団に入団、女優デビューその後歌手として活躍天性のリズム感を活かし時代を切り開くパイオニア的な活動を繰り広げ、83歳までステージに立ち続けた池真理子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 本名 池 真理子
  • 生年月日 1917年1月2日
  • 活動期間 1934年~2000年
  • 出身地 京都府
  • 所属レコード会社 日本コロムビア

死因と歌手としての評価。出身地は?「ボタンとリボン」「愛のスイング」「丘の小さな青い屋根」の誕生秘話は?

死因については、2000年5月28日、ホテルでの歌謡ショーで「センチメンタル・ジャーニー」を歌唱後にクモ膜下出血を発症し他界、享年83歳です。

歌手としての評価は、読譜力と表現力を持ち合わせていたためレコード会社にしてみれば重宝する歌手と言えます。楽譜に関しては現代の歌手でも読めない歌手も存在するほどですので、スキルが高いことは明かです。

リズム感も良かったので、スゥイングの女王と言われていました。スゥイングというと端的に言えば跳ねるリズムの曲で聞いている人をうきうきさせる楽曲です。また、ペルーに渡り日本では知名度が低かったラテン音楽を日本に伝来した人物と言えます。

出身地については京都府です。生まれも育ちも生粋の京都人でその後宝塚音楽学校に進んで歌手としての下地を作っていきます。ここからは池真理子さんの楽曲「ボタンとリボン」「愛のスイング」「丘の小さな青い屋根」について書いて行きます。

「ボタンとリボン」は、外国作品の日本語カバーでカバー作品の中では「ボタンとリボン」が最大のヒットとなりました。元々はアメリカ映画の主題歌でしたが、ダイナ・ショアのレコードが提携生産されて好評を得ました。


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日本に合わせた編曲と訳詞で歌われて、聴衆を捉えてレコード売上は独奏となりました。今聞くと色々な上手い歌手を聞いてしまったせいか普通に良い曲だという捉え方です。しかしながら、当時は画期的だったと言えます。

「愛のスイング」戦後にレコード製造を再開した際に旧作制作と共に新作制作を再開しその第一弾作品として次の時代に向け企画も進行し、新感覚の作品「愛のスウイング」の制作時に抜擢されたのが池真理子さんでした。

「丘の小さな青い屋根」作詞、西沢義久、作曲高木東六のコンビで制作された楽曲、上記で紹介した「愛のスゥイング」や「ボタンとリボン」が有名でこの曲はあまり知られていません。

いつか2人でこんな家に住みたいねと言うような歌に仕上がっており、今風に言えばラブソングと言うところでしょうか。しかしながら時代が古くても好きな人を思うというのは時代は関係ないと言う事が言えます。

まとめ

今回は、池真理子さんを掘り下げてきましたが大正生まれの歌手であり、宝塚音楽学校に入学することが出来た才能の持ち主です。令和の現在でも宝塚音楽学校に入学するのは至難の業で入学するための塾もあるほどです。

卒業後は、三日月美夜子の芸名で活動しましたが売れない時代が長く続いていました。そんな中で京都のダンスホールに行きジャズに魅了されてから人生が開けたように歌手人生が動き出していきます。

その後歌手として本格的に活動するために作曲家佐々木俊一氏の内弟子として活動し「君と別れて」でデビューしました。デビュー当時の芸名は「池マリ子」としてデビューしました。

しかしながら音楽的才能があり、リズム感などが素晴らしいという天性の才能があります。また、新しい音楽を取り入れるため異国に渡ると言う動きも見せてラテン音楽を日本に広める伝道師的な役割を果しました。

また、2000年までステージに立ち続け、亡くなったのもステージの上という歌手として最高の死に方をしたと思います。中々ステージ上で死にたいと歌手や舞台人が語っても実現しないのですがそれを実現したわけです。

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