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中野忠晴の死因と歌手・作曲家としての評価。「小さな喫茶店」「大阪タイガースの歌」「山の人気者」の誕生秘話は?


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出典:[amazon]音故知新 昭和の名歌手 中野忠晴

歌手兼作曲家の中野忠晴さんを色々な角度から掘り下げて行きます。

プロフィール

  • 氏名 中野忠晴
  • 生年月日 1909年5月27日
  • 出身地 愛媛県 大洲市
  • カテゴリー 歌手・作曲家
  • 生存期間 1909年~1970年

死因と歌手・作曲家としての評価。「小さな喫茶店」「大阪タイガースの歌」「山の人気者」の誕生秘話は?

死因については1970年2月に肺がんのため60歳で他界しました。歌手として活動をしていましたが、喉を痛めてしまい歌手としての活動は出来なくなってしまい、晩年は作曲家として活動しました。

しかしながらジャズという音楽の影響を強く受けており、ジャズをベースにした楽曲も多く、また、歌手として最初に歌を吹き込んだとされる楽曲もあり戦前に活躍していたパイオニア的歌手であり作曲家とも言えます。

ここからは中野忠晴さんの楽曲、「小さな喫茶店」「大阪タイガースの歌」「山の人気者」について書いて行きます。「小さな喫茶店」作詞、瀬沼喜久雄、作曲、フレッド・レイモンドのコンビの楽曲でカバー曲です。

歌声は澄んだ感じがあり1935年の作品で楽曲はゆったりとしたテンポで男女が2人で小さな喫茶店でデートをした時の様子を歌にしています。当時はデートで喫茶店に入るというだけでも大変勇気がいる行動だったと推察されます。

また、知り合って間もないため緊張のあまり話すことが出来ず、沈黙の時間をラジオが埋めてくれているという初デートの情景を描いています。時代が変わってもこう言った光景は変わらないなと思いました。

1935年大阪タイガース設立に合わせて制作された球団歌。作詩、佐藤惣之助、作曲、古関 裕而、編曲、奥山貞吉のトリオで製作されました。当時は発売されたものでは無くチームの激励会で配られたプライベートレコードでした。


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そのため所有している人は限られており、200~300ぐらいプレスされていたのでは無いかと言われています。A面は大阪タイガースの歌、B面は、A面楽曲のインストバージョンです。

また、球団にも放送局にもこの音源は存在しておらず、レコードコレクターが所有している事が神戸新聞で紹介されました。その後、2003年阪神タイガース優勝の際に阪神タイガース 選手別応援歌 2003のCDに収録されました。

当時は球団名が大阪タイガースから阪神タイガースに改称されたため阪神タイガースの歌となっており、現在では六甲おろしとしてファンに親しまれています。また、著作権保護期間が終了している楽曲のため、許諾の必要の無い楽曲となっています。地元関西のアナウンサーや元阪神タイガースの助っ人オマリー選手が歌った物など様々なバージョンが存在しています。

そのため最初にこの歌をレコーディングしたのが中野忠晴さんである事はあまり知られていません。続いては「山の人気者」は1934年に中野忠晴さんが歌ってヒットした作品でバンジョーが後ろに聞こえる陽気な楽曲です。

このレコードが発売されるまでジャズコーラスというジャンルが存在して居ませんでしたが。この曲がヒットしたことによってジャズコーラスというジャンルが新たに生まれたと言われています。

原曲はスイス民謡ですがウエスタン調に編曲されているものも存在し、日本ではCMで一部が引用されていたりと知名度は高い楽曲と言えます。

まとめ

今回は歌手の中野忠晴さんを掘り下げてきましたが、聞けば誰もが知っている楽曲を最初にレコーディングしていると感じました。まあ、声は澄んでいてかなり綺麗です。そのため喉を痛めて居なければどれ位の楽曲をレコーディングしていたか解りません。

しかしながら、喉を痛めても作曲家として晩年活動していましたが、歌手としての活動の方が主です。音楽の基本ベースはジャズのためリズミカルな曲を沢山歌っているしジャズを歌いこなせるスキルの高さもあります。

今後まだまだ色々なレコーディングした作品が世の中に出ていない可能性もあり今後新しい作品も有るかもしれません。

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