高田恭子の現在。結婚してる?「みんな夢の中」の誕生秘話は?
2017/07/26
出典:夜もバラのように
フォークシンガーである高田恭子さんを様々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 高田恭子
- 生年月日 1946年10月24日
- 血液型 ?
- 出身地 京都府
- カテゴリー フォーク歌手
現在。結婚してる?「みんな夢の中」の誕生秘話は?
1980年に結婚のために芸能界を引退し、一般人に戻りました。しかし、1997年にテレビ出演で歌手活動を再開し、現在ホテルのショーやフォークソングや昭和歌謡絡みのイベントに出演しているようです。
ではどの様にして歌手になる事が出来たのかを掘り下げて行きます。出身地は京都と言うことでアマチュア時代の活躍の場所は関西と言うことになります。中学生の頃から傍らにフォークソングがあり、杉田二郎等と同じく歌を歌う少女だったようです。
しかし、マイク眞木さんにスカウトを受けて上京を決意します。マイク眞木さんが結成していたグループマイクスの二代目ボーカリストを探していた時に、丁度見つけられて『星空のマサチューセッツ/夢の牧場』を歌いました。
グループは1年で解散してしまい、高田恭子さんはソロ歌手になることを決めました。また、カンツォーネに興味を持っており友人のすすめもあり、カンツォーネコンテストに応募して優勝をしました。
しかも、誰か師匠について習ったわけではなく独学で学んだという所に、歌手としての才能を感じてしまいますよね。カンツォーネはイタリアの音楽の一つで民謡や童謡もその中に入ります。
有名なのはオーソレミーヨやフニクリフニクラが有名です。CMソングやバラエティー番組で使われることがあるので、はっきりと認識しなくても知らないうちに聴いているかも知れません。
この当時日本では、カンツォーネがどの程度の認知度だったかは解りませんが、優勝できると言うことは歌手としてのセンスも良いことが証明されましたが、優勝というのは誰にでも出来る物では無いので凄いことだと思います。
これがきっかけでソロデビューのチャンスを掴みます。高田恭子さんのデビューをアシストしたのは浜口庫之助さん。昭和の時代を代表する作曲家の一人です。錦野旦さんの『空に太陽がある限り』、マイク眞木さんの『バラが咲いた』等があります。
高田恭子さんに用意された曲は、『みんな夢の中』の中でした。この曲を受け取ったときは高田恭子さんはえらく感動したということをインタビューで語っています。この曲を歌ったことで運命が大きく動き出していきます。
デビュー曲にしてレコード大賞新人賞と紅白歌合戦出場という、当時の歌手にとっては大きな夢を叶えてしまいました。その後、10枚以上のシングルレコードをリリースし、歌手活動を順調にこなしていました。
しかし、一〇年間歌ったところで人生に迷いが生じたのか結婚を機に一時引退を選びました。今の時代なら結婚しても歌手活動にそんなに大きな影響を与えることはないのですが、
当時は結婚すると引退みたいな風潮があり、それを受け入れた形となります。
まとめ
結婚と歌手活動をちゃんと行った人いうイメージがありますね。結婚生活の期間は一般の主婦として日常生活をエンジョイしていたようですし、周りにも気付かれることはなかったようですね。
現在は歌手活動を再開し、イベントその他に出演するだけですがそれでも求められないと活動を行なう事は出来ないわけですから、求められると言うことはそれだけ需要があると言う事になりますから、その年代その年代で良い歌が歌っていけると良いですね。
芸能界に未練がなくやはりやりきったから引退の決断をしたわけでそうでなければあれも出来るこれも出来ると色んなことをやりたくて結婚するチャンスを逃してしまった可能性がありますよね。
また、フォークソングと言うよりもスタートがフォークでしたが歌手活動の内容的には歌謡曲的な位置で歌手活動を続けてきたという事が証明です。