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山本潤子の病気後の現在の活動。コンサートは?「赤い鳥」「ハイ・ファイ・セット」での評判は?

2021/12/18


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出典:〔amazon〕JUNKO YAMAMOTO

今回は、山本潤子さんをいろんな角度から、掘り下げます。

プロフィール

  • 氏名 山本潤子
  • 生年月日 1949年12月30日
  • 出身地 奈良県
  • カテゴリー ボーカリスト

病気後の現在の活動。コンサートは?「赤い鳥」「ハイ・ファイ・セット」での評判は?

山本潤子さんは現在無期限活動休止中です。2017年10月28日現在オフィシャルホームページを確認すると、活動休止中と書かれています。そのためコンサートも行う予定もありません。

病気とは何かと思い検索すると、のどのポリープという説でした。歌手や声を使う人は出来てしまう出来物です。治療的には手術により取り除くことで、復帰は可能です。しかし声質が変わってしまう事があるため二の足を踏む歌手の人もいます。

概ね3か月ぐらいは休養し、その後徐々に声を出し始めていくのが一般的で、歌手の職業病です。また、ボーカリストの吉川晃司さんはポリープの手術を宣言したものの、ポリープが消えたという例もあります。

しかし本人はポリープを否定しており、のどの疲労で納得できる歌を歌う事が出来ないようです。

2014年のコンサートが最後ですから都合3年ほど休んでいることになります。また、夫である山本俊彦氏が同年に他界したため、音楽活動に意味を見出せない状態が続いているのかもしれません。

そうなるといつ音楽と向き合う気持ちになれるかは、本人にしかわかりません。続いては赤い鳥とハイ・ファイ・セット時代の評判を掘り下げていきます。

山本潤子さんが音楽活動を始めたのは、1969年からで赤い鳥のメンバーとして活動を開始します。赤い鳥はどっぷりのフォークサウンドで、竹田の子守歌や翼をくださいが有名なグループです。

翼をくださいは、単なるヒットソングという領域を飛び越えて、音楽の教科書に掲載されるなどの社会的認知ソングとなり、赤い鳥は有名なグループとなりました。しかし、現在では赤い鳥よりも翼をくださいのほうが有名です。


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それもそのはず、海外のアーティストにもカバーされるなど、楽曲の良さは海を越え世代を超えて歌い継がれている歌といえます。しかし、1974年に赤い鳥は解散し、その後紆余曲折があり、ハイ・ファイ・セットを結成しました。

ハイ・ファイ・セットの音楽性は、お洒落なポップスを目指している感じがあります。1974年から1994年まで活動し、有名な曲は卒業写真です。この曲は松任谷由実さんが荒井由実時代に作った楽曲で自身もカバーしているほどの名曲です。

その後、小田和正さんや様々な作家とコラボレーションしながら様々な作品を世の中に送り出していきました。オリジナルアルバム20枚、シングル28枚をリリースしました。

また、メンバーだった山本俊彦さんとも結婚しましたから、公私ともに音楽活動をしてきたという事になりますね。

ハイ・ファイ・セットも1994年に解散、その後はソロボーカリストに転身し、色々な音楽ジャンルの歌を歌い、コンサートやコラボレーションも沢山行いました。しかし、ソロアーティストになってからはヒット曲に恵まれていません。

>>赤い鳥の現在。メンバーは何してる?「翼をください」の誕生秘話は?

まとめ

活動休止状態が長く続いていますが、また歌が歌いたいという気持ちになる出来事が起これば音楽活動を行いたいという意欲がわいてくるのでしょう。しかし、今の状態はいつまで続くのかそれは本人しかわかりません。

今までリリースしてきた作品を再び視聴して復活を待ちわびるしか今のところ出来ないようです。また、アーティストは0から100を生み出すので、歌いたいことや思いがわいてこないという事もあります。

つまり空っぽという状態なのかもしれないのです。こればかりはどうすることも出来ないので復活を待ちたいところですね。また、復活してきたときには相当味わい深い歌が歌えるようになって帰ってくる可能性もありますね。そんな人生観や音楽感の変化が楽しみでもありますね。

その時は今まで届かなかった人にも音楽が届く可能性があります。

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