中川由乃(よしの)の現在の活動。結婚してる?年齢は?「時には母のない子のように」「七曲り」の誕生秘話は?
ヤマハポプコンで最優秀賞を穫り、デビューを果した中川由乃さんを掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 中川由乃
- 生年月日 不明
- 出身地 不明
- カテゴリー シンガーソングライター
- 活動開始 1978年
- 所属レコード会社 コロムビアレコード
現在の活動。結婚してる?年齢は?「時には母のない子のように」「七曲り」の誕生秘話は?
現在の活動については行っていません。デビューの歳はフォーク少女と言われており現在のあいみょんのような活躍が期待されていた可能性はありますが、1978年にアルバム『プリズム』をリリース後消息がわかりません。
同姓同名のピアニストの方がいたので、ピアニストに職業を変えて音楽業界で活動しているのかと思いましたが『七曲り』の歌声を確認してみましたが透明感のあるキレイな声でピアニストの中川由乃さんは声が低いので違うかもしれません。
したがって現在の動向わかりません。今後どこかのメディアで活動当時のことを回想するようなインタビューなどを受けてくれると良いなと思います。そうする事で当時アルバムやEPレコードを購入して未だに所持していると言う人は歓喜する可能性が高いと思います。
結婚しているのかについては、動向が解りませんので解りませんでした。今後どこかで現在どうなっているのか判明する可能性がありますのでその時を待つことにしましょう。年齢についても詳細は不明です。
ここからは中川由乃さんの楽曲、「時には母のない子のように」「七曲り」について書いて行きます。「時には母のない子のように」はフォーク大百科1964-1977の中でカルメンマキさんが歌唱してヒットした楽曲をカバーした形になります。
作詞は寺山修司、作曲は田中未知のコンビで作られた楽曲。寺山修司は日本演劇界の伝説的演出家の一人で、現在では美輪明宏さんが当時の関わりをテレビやラジオで語ることがある程度でその他は書籍で読むことが出来ます。
作曲は寺山修司の秘書だった田中未知さんでした。楽曲は、ゴスペルソングとして有名なSometimes I feel like a motherless childから着想を得て作られました。この曲でカルメンマキさんは紅白歌合戦にも出場しておりリリース当時はヒット曲でした。
この曲を歌ったのは正式なデビュー前で、歌ってみようと言う事で中川由乃さんがカバーした形なのかもしれません。続いては「七曲り」、第12回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会の優秀曲でデビュー曲です。
1978年6月のリリース。作詞は、杉山政美、作曲、中川由乃、編曲、上原はじめのトリオで製作されました。原曲はどんな感じで作られていた物なのかはわかりませんが、演歌&ポップスにアレンジされています。
中川由乃さんの声質を鑑みて、演歌調&ポップスのアレンジになったのかもしれません。フォークソングはどちらかというと暗い物が多く、チャゲ&飛鳥の飛鳥涼も当時は演歌&フォーク調に勝機を見いだして曲を作っていたと語っていたのでこの当時はそう言った潮流の中で楽曲制作が進んでいった可能性が高いです。
なおこの楽曲はコロムビア・ガールズ伝説 FOLKY & ELEGANCEの中で初CD化されていますので、クリアな音源で聞くことが出来ます。一部では楽曲が優しすぎてインパクトが弱く世間に響かなかったのではないかと言われている節もあります。
まとめ
今回は、中川由乃さんを掘り下げてきましたが現在の活動については、全くわからないと言う状況です。作品のリリース状況はアルバム1枚、シングル3枚という状況でその後新作が出たという話は聞こえてきません。
また、スマッシュヒットしたと言う話も聞こえてこないので色々な当時の状況が積み重なって売れることは難しくその後音楽からは一線を退いている可能性はとても高いです。少しでも売れていれば未練があったのかもしれませんがあまり世間に響かなかったので辞めざる終えなかったと言うところかもしれません。
やはり、芸能人は人の気で売れる売れないが左右されてしまうギャンブル性が高い職業だと思います。
また、消息をご存じの方が教えて欲しいとですね。