竹腰ひろ子の現在の活動。結婚してる?年齢は?「男の行く道」「東京流れ者」の誕生秘話は?
歌手の竹越ひろ子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 芸名 竹越 ひろ子
- 生年月日 1941年7月19日
- 出身地 大阪市
- カテゴリー 歌手
- 活動開始 1963年
現在の活動。結婚してる?年齢は?「男の行く道」「東京流れ者」の誕生秘話は?
現在の活動については、スケジュール等の発表はされておらずSNS、レコード会社、事務所のホームページ、ネットニュース等が存在しないため動向が掴めません。今後、懐メロ特番などに出演する機会があれば元気な姿を見ることが出来ると思います。
結婚しているのかについては、結婚しており夫は会社役員で息子が二人いるという円満な家庭です。また、夫はどのような人物なのか?等は情報が無いので不明です。息子二人についてもどの様な職業に就いているのかなど不明です。
年齢については、1941年7月19日生まれ80歳です。因みに日本の女性の平均寿命が2019年のテータで87.45歳なので頑張って生きてほしいと思います。やはりプロの歌手なので健康的なのかもしれません。
因みに、80歳の芸能人は石坂浩二、小林克也、小林稔侍、山本圭、等がいます。今名前を上げた人達は今でもラジオやテレビドラマで元気に活躍している人ばかりですね。
若さをキープしているのは、常に何かを追い求めているから若いのでしょうか?
特に、芸能人は定年退職という物が無いので体と頭が元気ならいつまでも仕事が舞い込んで来るので必然的に若くなるのかもしれません。現在は一般の職業でも定年が後ろ倒しになっているので企業によっては働く意思があれば75歳まで働けます。
一般の仕事に就業している人も、芸能人と精神的には変わらなくなって来る可能性があります。若さをキープするには、新しいことに対するアンテナを張り続けることと適度な運動と言う事かもしれません。
ここからは竹越ひろ子さんの楽曲、「男の行く道」「東京流れ者」について書いて行きます。「男の行く道」はデビュー曲でプロレスラーの力道山に見いだされてキングレコードに入社しデビューしました。
デビューする前はアメリカ軍のキャンプで歌を歌っていました。当時はどの様な感じだったかを書いた記事がありますので(以下https://www.nishinippon.co.jp/item/o/16629/ より引用)
「進駐軍のキャンプ(基地)では…」と今もある生々しさを持って回想するのがキャバレーのバンドマンたちだ。
進駐軍はいうまでもなく占領軍のことだ。武装解除など13項目からなるポツダム宣言を受諾して太平洋戦争の終戦を迎えた日本に、宣言遂行のために、米国中心の連合国軍が進駐してきた。
進駐軍の数は二十数万人ともいわれ、福岡地区にも5千人に近い米軍が展開した。1952年から発効したサンフランシスコ講和条約によって、日本は占領体制を解かれて主権を回復、独立国家として歩み始める。これによって進駐軍は撤収するが、「在日米軍」と名前を変えて駐留する。
福岡にも板付、西戸崎の米軍キャンプなどができ、キャンプ内では兵士の娯楽としてジャズが演奏された。その演奏者は日本人ジャズメンだった。
「出演者のギャラはすべて日本政府の負担でした。47年のその支出は3億円…街に失業者や浮浪者があふれ…この時期ミュージシャンは…フルコースの食事やタバコやチョコレートのおみやげつきの仕事にめぐりあえた」
いわば「キャンプバブル」の時代があり、福岡でもバンドマンをキャンプに送り込む派遣業者がひともうけして、それを元手にキャバレーを開くのが一つの形でもあった。また、キャンプ撤収の後、バンドマンの仕事、生活を支えたのはキャバレーだった。
バンドマンだけでなく雪村いづみ、江利チエミなど戦後歌謡を彩る多くの歌手たちも各地のキャンプで地力をつけ、キャバレーで人気をのばしていった。
上記の文書を読む限り音楽的なスキルが高ければ駐屯地やキャバレーで歌える場所があり、歌や演奏のギャラで贅沢な生活をしていたと言う事が読み取れます。1990年代に存在していたバブルがこの時にもあったと言えます。
因みにデビュー曲の「男の行く道」の作詞はたなかゆきを、作曲、桜田誠一のコンビで製作され、男の生き様を歌にした物です。セールスデータはありません。続いては「東京流れ者」、
作詞、永井ひろし、作曲、不詳で作られた曲で竹越ひろ子さんの代表曲とも言えます。30万枚を売上ました。
まとめ
4回のガンを経験していると言うことですがその度に復活している奇跡の人とも言えます。健康そうであればまた舞台に出て歌声を聞かせて欲しいと思います。