ジ・アイビー・トワインズの歌手としての評価。メンバーは何してる?「いつか見た青い空」「レナウン」の誕生秘話は?
フォークの3人組グループジ・アイビー・トワインズを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- グループ名 ジ・アイビー・トワインズ
- カテゴリー フォークグループ
- 活動期間 1966年~67年
歌手としての評価。メンバーは何してる?「いつか見た青い空」「レナウン」の誕生秘話は?
ジ・アイビー・トワインズは、大学時代に結成されたグループと言う事で活動期間も1966年から1967年までの1年間で1968年にレコーディングするために一時的に再結成しています。
当時の時代背景としてアメリカでフォークソングのリバイバルヒットが起こり、その影響を受けた当時の音楽をやっていた大学生達がカレッジポップスというムーブメントを作り出していました。
大学生が自分達で音楽を作り出し歌う、現在では当り前になったシンガーソングライターの先駆けでありその中からもジローズ等などがミュージシャンとして生き残り、令和になった今でもミュージシャンとして活動を継続しています。
ジ・アイビー・トワインズは、冒頭にも触れたカレッジポップスの中の一躍を担っていましたが、積極的に活動をしているわけではなくあくまでも学業優先で音楽活動をしていたと考えられています。
因みにリリースした作品はシングルレコード2枚というので、ここまで来ると覚えている人は数少なく知っている人はレアと呼ばれる状況です。この記事を書くに当りインターネット上を調べましたが、当時の想い出を振り返るようにジ・アイビー・トワインズの事をネタに当時を振り返るブログが殆どでした。
当時は大ヒット曲を1枚出して、一発屋と呼ばれたわけでもなく一時的に注目されただけなので評価と言うには、厳しいような気がします。また、2011年7月にニッパチ分科会が主催するライブに出演したようでその際何名で出演したのかまでは不明です。
その際のグループ名はWISHだったようで、それ以後活動したという情報やインターネット記事はありません。ここからはメンバーについて書いていきます。
湯沢裕子さん(ヒロコ)
大学在学後の音楽活動等が不明、しかしながらメンバーだった高世のり子さん(ノンコ)と今も親交があり、時折連絡を取っているようです。
高世のり子さん(ノンコ)
大学を卒業した後の音楽活動は不明、メンバーだった湯沢裕子さん(ヒロコ)とは親交があり連絡を取り合っています。
国東美智子さん(ミコタン)
消息不明となっています。
ここからはジ・アイビー・トワインズの楽曲「いつか見た青い空」「レナウン」について書いて行きます。「いつか見た青い空」は、作詞、都築新一作曲、青山靖介で制作された楽曲でデビュー曲に当ります。
当時はどのぐらい売れたかどうかはセールスデータが無いので解りませんでした。楽曲をYouTubeで聴いてみましたが、キレイなハーモニーと透き通るような歌声が印象的でカレッジポップスってこんな感じの音楽のことを言うのかと思いました。
「レナウン」の正式タイトルは「レナウン娘」で、レナウンのCMソングとして何度もOAされていたので覚えている人も多いのでは無いかと言う話でした。YouTubeで検索してどんな感じの歌だったか知りたかったのですが解りませんでした。
また、この曲はレコード化していないようでジ・アイビー・トワインズのリリースした作品の中にはカウントされていません。
まとめ
今回はジ・アイビー・トワインズを掘り下げてきましたが印象は、ある一時代のムーブメント中で活躍した大学生のトリオグループだったという事で、フォーククルセダーズやジローズのように本気でミュージシャンを生業にして行こうと言うことは考えていなかったようです。
その証拠に大学を卒業した後に音楽活動を継続した人は一人も居ないのでメンバーがそれぞれ堅実に将来を考えて音楽は大学時代だけと言うように考えていたのかも知れません。現在の消息や音楽活動については殆ど解りませんが元気に暮らされているようであり、時折昔の音楽仲間と会って交友を深めているようです。また消息をご存じの方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけると嬉しいです。