浅田美代子の最近の活動。年齢は?吉田拓郎との離婚の経緯や「赤い風船」「わたしの宵待草」「じゃあまたね」の誕生秘話は?
アイドルとしてデビューしその後女優。結婚、離婚と経験し現在も芸能界で活動を続ける浅田美代子さんを色々な角度から掘り下げて行きます。
プロフィール
- 氏名 浅田美代子
- 生年月日 1956年2月15日
- 出身地 東京都 港区
- カテゴリー 女優、歌手
- 活動開始 1977年
- 所属事務所 テアトル・ド・ポッシュ
最近の活動。年齢は?吉田拓郎との離婚の経緯や「赤い風船」「わたしの宵待草」「じゃあまたね」の誕生秘話は?
浅田美代子さんの2021年現在ですが、女優として活動を継続しています。まず、テレビドラマ、2021年7月26日(月)放送のテレビ東京『病院の治しかた~スペシャル』に出演していました。
映画は、2020年12月18日(金)TOHOシネマズシャンテ他 全国順次公開、伊藤俊也監督『日本独立』、舞台、~筒美京平オフィシャル・トリビュート・プロジェクト~ザ・ヒット・ソング・メーカー筒美京平の世界inコンサートに出演しました。
この他動画配信、H-E-L-Pキャンペーンムービー(テキストバージョン・家族の一員編)
H-E-L-Pキャンペーン動画(フリートークバージョン)向田邦子没後四〇年イベント 演劇「寺内貫太郎33回忌」配信と様々な仕事をしています。
近年バラエティーで見かける事がなくなっており、今は何をしているのかと考えている人もいるかもしれませんが、順調に芸能活動を継続しています。今後も、仕事を順調に熟していくと考えられます。
年齢については、1956年2月15日生まれ65歳です。一時引退している時期もありましたが、復帰してその後活動継続しているため若さをキープしていると言えます。今後の活動が楽しみです。
さて、浅田美代子さんは一度結婚している時期があり、その相手は吉田拓郎さんです。残念ながら現在は離婚してしまいました。どの様な経緯で離婚に経ったのか?調べてみたいと思います。
出会いは、1974年に、後に紹介する楽曲「じゃあまたね」の提供を受け、1975年には、テレビドラマ「なつかしき海の歌」で共演。その後交際に発展しました。元々吉田拓郎さんが浅田美代子さんのファンだったようです。
しかし、この時吉田拓郎さんには奥さんと娘さんがいたようです。その話を聞きつけた樹木希林、内田裕也夫妻が吉田拓郎さんのところに交際の真意を確かめに訪れた事もありその席で『真面目に付き合っています。結婚するつもりです。』と答え真剣交際を認めました。
その後、奥さんと性格の不一致を理由に離婚した事をラジオ番組で発表。浅田美代子さんと交際に発展し、結婚にこぎ着けました。当時は浅田美代子さん21歳、吉田拓郎さん31歳でした。この後一時芸能界を引退し一般人として過ごしていた時期もありました。しかしながら、現在の吉田拓郎さんの妻森下愛子さんとの交際が報じられ性格の不一致を理由に離婚しました。
因みに二人の間には、子供はいません。吉田拓郎さんは、現在は森下愛子さんと3回目の結婚。現在アーティストとして活動終了に向け動いています。因みに森下愛子さんとの間にも子供はいません。
ここからは浅田美代子さんの楽曲、「赤い風船」「わたしの宵待草」「じゃあまたね」について書いて行きます。「赤い風船」は、浅田美代子さんにとってはデビュー曲でキャッチフレーズは『ソニーエンジェル』。
当時の浅田美代子さんは女優としてTBSドラマ『時間ですよ』レギュラー出演していました。デビュー曲初登場最高記録を打ち立て累積80万枚を売り上げました。続いては、「わたしの宵待草」。
3枚目のシングルでBEST10入りを逃した作品です。当時のセールスデータはオリコン11位、作詞、小谷夏 作曲、都倉俊一、編曲、高田弘のトリオで製作されました。「じゃあまたね」は吉田拓郎さんが作曲しその3年後に浅田美代子さんと結婚しました。
上記でも触れましたが、結婚しましたが後に離婚しました。吉田拓郎さんがファンだったみたいです。やはりファンと結婚するのはなかなか難しいです。冷めてしまうと急に現実に引き戻されるからです。
まとめ
今後も芸能界で活動を継続していく事になると思いますので、楽しみにしましょう。